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愛知県 藤川宿ふじかわしゅく

藤川宿ふじかわしゅく(愛知県岡崎市)


藤川宿は、江戸から数えての三十七番目の宿場である。
1843年(天保14)の記録によると、家並みの長さ約1キロ、戸数302戸、本陣と脇本陣各1軒、旅籠屋(はたごや)36軒、宿内人数1,213人であったといわれる。
本陣跡は、現在藤川宿資料館となっており、藤川宿に関する資料が閲覧できる。



宿場の入り口は、江戸時代当時の入り口を再現してある。

宿場を進むとまずは常夜燈が目に入る。(写真ありません)


高札場の跡がある。



右手に本陣跡(現在は藤川宿資料館)、脇本陣跡と続く
藤川宿の「本陣」は宇中町北にあり、藤川宿の中心地で、「本陣」とは、江戸時代、公家や諸大名などの貴人が使用した宿舎で、宿場町公認の休泊所であった。


藤川宿の「本陣」は、もともとは二軒であったが退転(落ちぶれること)を繰り返し、江戸時代後期には「森川久左衛門」が勤めていた。
(案内板と歌川広重の藤川宿の絵のパネルあり。)
本陣跡の敷地内には石碑がある。脇本陣は現在も当時の面影を残している。



脇本陣
「脇本陣」は、江戸時代「本陣」の補助的な役割として設けられた宿舎で、「本陣」に空きがないときには、本陣に準じて用いられていた。「脇本陣」を営むことができたのは、本陣家に次ぐ名望家で、江戸時代後期に営んでいたのは「大西喜太夫」で、「橘屋」と呼ばれていました。


脇本陣横の路地を下ると本陣の裏手に回ることができ、本陣の石垣を見ることができます。
石垣以外の本陣の面影はありません。
藤川宿は、史跡はあまり多くないが、当時の雰囲気を十分に感じることができます。



東の入口と同様、再現されている

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