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三重県 荒木又右衛門―「鍵屋の辻の決闘」

伊賀越資料館
住所:伊賀市小田町1321


荒木又右衛門―「鍵屋の辻の決闘」を演じた伊賀の剣豪
曾我兄弟の仇討ちや、赤穂浪士の討ち入りに並んで、日本三大仇討ちに数えられる伊賀越の仇討ち。


荒木又右衛門と渡辺数馬が、仇である河合又五郎を討ち取ったのがこの「鍵屋の辻」です。
「荒木又右衛門 鍵屋の辻の決闘」として、数多くの小説や映画、ドラマの舞台となりました。


岡山藩の河合又五郎が同僚の渡辺源太夫を殺害して出奔した。藩主の池田候が行方を調べさせたところ、旗本の安藤方にかくまわれていることが判明。しかし安藤家と岡山藩には確執があった。そのため引き渡し条件を岡山藩がのんだにもかかわらず、安藤家は河合又五郎の身柄を引き渡そうとしない。
激怒した池田候は源太夫の兄、渡辺数馬に上意討ちの免許を与える。数馬は大和郡山藩に仕える姉婿の荒木又右衛門に助太刀を頼み、この鍵屋の辻の前の茶屋で待ち伏せ、見事討ち取った。
このとき河合又五郎側は11人、渡辺数馬側は4人であった。
この事件は芝居や文楽の外題になっているが、いまこの話を知っている人はどれだけいるだろうか。


伊賀越資料館では、鍵屋の辻の決闘に関する様々な資料を展示しているほか、裏手には河合又五郎の首を洗ったとされる「洗首の池」があります。


資料館の周囲は公園になっており、仇討ちの待ち伏せをしていた茶屋を再現した「数馬茶店」があります。(写真はありません。普通の売店)


資料館の裏にある「河合又五郎首洗


い池」です。
傍には供養地蔵が建てられています。


資料館には錦絵がたくさん展示されている。
荒木又右衛門は柳生流・柳生十兵衛の弟子の剣豪だった。彼がいたからこの仇討ちは成功したと云われる。
荒木又右衛門の刀など。又右衛門の刀はこの闘いで折れたという。
又この事件のあと、彼は急死している。闘いによる傷ではなく、毒殺されたとも云われる。
資料館には、これと言って大したものがなかった。




鍵屋の辻にはいまも「ひだりならへ みぎいせみち」と記された道しるべが立っています。

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