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滋賀県    膳所城址公園

膳所城址公園


住所:滋賀県大津市本丸町
 別  称:石鹿城
 築城年:慶長6年(1601)
 築城者:徳川家康
 形  式:平城(水城)
 遺  構:石垣、移築城門
     模擬城門・城壁
☎:077-527-1555
駐車場:公園近く
交通機関
膳所本町駅出口から徒歩約6分


膳所城は徳川家康の命により、天下普請によって築かれた城です。築城の名手と謳われた藤堂高虎に最初につくらせた城で 日本三大湖城の一つです。大津城に変わり京都の東の守る拠点となりました。
同年、大津城主の戸田一西(かずあき)が10万石で初代膳所城主となり城下町の整備に努めた。元和3年(1617)一西の子戸田氏鉄(うじかね)が摂津尼崎に転封された後、本多氏、菅沼氏、石川氏と城主は替わるが、慶安4年(1651)本多俊次が伊勢亀山より7万石(後に6万石)で入封。


 以後、膳所城は本多氏13代の居城として明治維新を迎える。膳所藩は代々徳川幕府に忠勤を励んだが、幕末になって勤皇派が台頭し、戊辰戦争の口火を切った鳥羽・伏見の戦いでは桑名城攻めに参陣した。
また大津城、瀬田城、坂本城と並ぶ「琵琶湖の浮城」のひとつでもあります。本丸には4重4階の天守が上げられ、水面に映える姿は里謡に「瀬田の唐橋からねぎぼし、水に浮かぶは膳所の城」と謡われました。


現在は膳所城跡公園として整備され、往時の石垣を見ることができます。また、城門は膳所神社(本丸大手門)、篠津神社(北大手門)、鞭崎神社(南大手門)に移築されて現存しています。


こぼれ話
膳所城の特徴は米倉が意外にも多いことで、その収容能力は10万俵にも及んだという。10万石から6万石の居城としては驚くべき数字だが、籠城戦に備えたことは明白。
 それほど膳所城は戦略的拠点としての価値が高く、徳川幕府が膳所城を重要視していたことを物語っている。



では湖城とはどのような城でしょう=湖の沿岸に建てられた城のことです。
湖の沿岸に建てられたお城だと、湖の波による浸食により城の維持が困難であったかもしれません。ですが、平地に建てられているお城は山の上に建てられたお城と違って城下町を統治しやすい分、防衛設備を築かなければいけませんでした。


そうしたときに、湖を堀の代わりにするというメリットがあり、お城が建てられたという経緯があります。


三大湖城 
松江城(島根県松江市) 訪問済み
松江城(まつえじょう)は、現在の島根県松江市殿町に築かれた江戸時代の城。別名・千鳥城。現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されています。この他に日本さくら名所100選や都市景観100選に選ばれています。


宍道湖北側湖畔の亀田山に築かれ、日本三大湖城の一つでもある。なお、城の周りを囲む堀川は宍道湖とつながっており薄い塩水(汽水域)である。
鎌倉時代から戦国時代かけて、この地に末次城(末次の土居)が置かれたところです。
1600年(慶長5年) 関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)が、24万石を得て月山富田城に入城し松江藩が成立。月山富田城は中世山城であり近世城下町形成には不利であったので、末次城跡を城地の候補とした。


1607年(慶長12年) 末次城のあった亀田山に築城を開始。
1611年(慶長16年) 冬、松江城落成。(堀尾吉晴はこの年6月に完成目前で急死しています。)


膳所城(滋賀県大津市)この条項
琵琶湖に突き出た土地に築かれた水城であり、日本三大湖城の一つに数えらます。
膳所城は大津市街の東部に位置し、相模川河口付近にあった膳所崎と呼ばれる琵琶湖に突き出た土地に築かれた水城であり、日本三大湖城の一つに数えられ、また大津城、坂本城、瀬田城と並ぶ「琵琶湖の浮城」の一つである。陸続きの部分に三の丸を配し、二の丸・北の丸・本丸が琵琶湖に突出する梯郭式の縄張りであった。本丸には4重4階の天守が上げられ、水面に映える姿は里謡に「瀬田の唐橋からねぎぼし、水に浮かぶは膳所の城」と謡われていた。


慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いに勝利し名実共に天下人となった。
徳川家康は、翌、慶長6年(1601年)東海道の押さえとして、大津城を廃し膳所崎に城を築かせた。膳所城は江戸城、大坂城、名古屋城など天下普請として江戸幕府は縄張りは城造りの名手と言われた藤堂高虎に計画させた。8人の普請奉行の下、諸国の大名を動員するという天下普請の第一号の城である。湖の中に石垣を築き、本丸西隅に4重4階の天守が築かれた。家康がこの地を選んだ理由として、昔より「瀬田の唐橋を征するものは天下を征する」と言われた瀬田の唐橋に近い場所であったからであると言われる


膳所城の遺構
膳所城の建造物は明治になってすべて取り壊されたが、3棟の城門が膳所神社、篠津神社、鞭崎神社にそれぞれ移築され、貴重な遺構としていずれも国の重要文化財に指定されているので、膳所城跡を訪れれば是非見学してください。中でも膳所神社極近くです。


高島城(長野県諏訪市)まだ訪れたことはありません。
高島城(たかしまじょう)は、長野県諏訪市高島にあった日本の城。別名は諏訪の浮城や島崎城と呼ばれている。
城郭の形式は連郭式平城である。かつては諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城(すわのうきしろ)」と呼ばれていたが、江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、水城の面影は失われた。しかし、浮城の異名を持っていたことから日本三大湖城の一つに数えられている。



周辺界隈
瀬田の唐橋は近江八景「瀬田の夕照」で名高い。「唐橋を制するものは天下を制す」といわれるほど、京都へ通じる軍事の要衝で、幾度となく戦乱の舞台となった。膳所城もこの唐橋を制するために築かれたといわれる。
 膳所城跡からほど近いところに石山寺がある。東寺真言宗の大本山で、西国33ヶ所霊場第十三番の札所。平安時代には皇族や貴族の間で石山詣でが流行し、紫式部が『源氏物語』の構想を練ったといわれる「源氏の間」も残っている。広大な境内には寺名の由来となった天然記念物の巨大な硅灰岩があり、とりわけ紅葉の季節には建造物とのコントラストが美

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