静岡県 久能山東照宮 国宝
久能山東照宮 国宝
住所:静岡市駿河区根古屋390
祭神:徳川家康
相殿に豊臣秀吉と織田信長
この戦国の英傑三者が祭られているのはこの久能山だけです。2009年に修復されています。
電話:054-237-2438
所要時間は3時間ほど
参拝は是非博物館と共通券を利用してください。
社殿:500円
博物館:400円
共通券:800円
ここは三回訪れています。
今回は日本平からロープウェイで行く
ルート
日本平駐車場は無料です
50台ほど駐車できます
ロープウェイで行くと5分ぐらい
降りたところに博物館があります。
久能山の麓に売店がありそこに駐車をして
食事をすれば駐車代はかかりません。
こちらからはかなりの階段があります。
売店からの入り口
途中の踊り場909段上がったところにある一の門から見る駿河湾の景色は絶景です。
下には海岸沿いに石垣イチゴのハウスがびっしりあります。
石段の数は1159段あります。
この階段名前があるのです。
誰が名付けたのか?
「いちいちごくろうさん」
と言います。
此の階段20分とありますがとてもとても
優に30分以上かかります。
社殿
ここまでで1159段
家康は
神廟
徳川家康公は幼少(5歳)のころから
織田・今川の人質となり
駿府で元服し今川義元の姪と結婚させられ
今川の上洛の先方として織田軍と戦い今川義元が桶狭間で討ち死にすると岡崎の
大樹寺に逃げ込む
岡崎城の近くにあります。
この寺の門内から岡崎城が見えます。
今もこの景観を保つため大樹寺から岡崎城の間にビルの建築は条例により建築できません。
ここで切腹というところで寺の和尚に諭されて自害を思いとどまった。
しばらくすると岡崎城の今川軍は岡崎城を退去し、家康は空となった岡崎城に戻った。
5歳のころ織田家・今川家と人質となり初めての入城であった。
家康は関ケ原の戦を経て征夷大将軍
晩年を駿府(現在の静岡市)で過ごしました。
徳川家康は、元和2年4月17日(1616年6月1日)に駿府城で没すると
密かに久能山に運ばれ、通夜も行なわれずに埋葬されています。
遺言は、久能山に遺体を納め、増上寺で葬儀を行なったら、一周忌の後に日光山に小さな堂を建て、勧請せよと指示しているので家康の遺体は、側近の手により、密かに久能山に運ばれ、吉田神道の作法で埋葬されています。
遺体を西に向けて埋葬したのも家康の遺言。
ここで日光山への改葬ですが家康公は木箱に入れて土葬しているため日光へ遺骸を移すことは困難であるので今もこの地に安置されているのではないかと思います。
また発掘もできないので今となっては解明は困難です。
もちろん日光山も発掘はされていません。
そして遺言のとおり
金地院崇伝の『本光国師日記』には、「日光山に小き堂をたて。勧請し候へ」と、「勧請」と記されているので、あくまで神格化した神霊のみを遷した(勧請した)と考えるられています。
建立
大工棟梁には中井正清が選ばれ同年5月に着工、1年7ヶ月のわずかな期間で社殿が建てられました。
博物館(撮影禁止)
中でも時計は素晴らしいです。
東照宮は他に
滋賀県・愛知県・和歌山県などがあります