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四国八十八ケ所 車で遍路の記録/ 第26番 金剛頂寺 第27番神峯寺

                                2020年1月掲載
                      2021年6月1日 一部記事修正と写真追加
今夜泊まる民宿「うらしま」の前を通り左折金剛頂寺を目指す。
修行の道場:第24番~第39番札所:土佐の国(高知県)
26番 龍頭山 光明院 金剛頂寺  通称西寺
第1番札所から292.4㎞


住所:高知県室戸市元乙523番
宗派:真言宗豊山派
創建:伝・大同2年(807年)
開基:伝・空海(弘法大師)、嵯峨天皇(勅願)
御本尊:薬師如来
☎:0887-23-0026
駐車場:有料、普通20台 大型も可


真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:往生に 望みをかける 極楽は 月のかたむく 西寺のそら


創建時は女人禁制、婦女子は行当岬の不動堂から遙拝していた。


門前に階段があります。


山門
巨大な草履は魔除けだそうです。
その次には仁王さんが見張っている

石段(厄坂)
男女の厄年の数に合わせた
厄除けの石段を登ります。
ここもお賽銭を置いてがる

一粒万倍の釜
一粒万倍の釜があり前で写真を撮影して貰う。見ると釜の底は壊れていた。
一粒万倍の釜・・・・・弘法大師が3合3勺のお米を入れて炊いたところ、万倍にも増え
た伝説がある。人々の飢えを救ったと伝えられる。太子堂の横弘法大師が3合3勺のお米を炊いたところ。
底はやぶれていました。

がん封じ
撫でると癌封じになるといわれる霊木


本堂

双龍の線香立


大師堂
本堂とは反対の西向きに建てられた大師堂です。
西向きに建てられた大師堂の謂われが表されています。
大師が悪さをする天狗を足摺から西へ追い払ったあと、
西向きの堂を建て、大師像が足摺方面を見張るようにしたとのこと。

天狗問答・・・・・弘法大師が修行された19歳の青年の頃、魔性の類の往来が激しく、
大師は天狗等の競う処を悉く問答勝伏して足摺岬西方に駆逐し、「我が姿を残し置く、我
が身の有限り来障することなかれ」の約束をして楠の大木に御影を留められた。
現在大師堂はその謂を守るが如く足摺岬に向って建立されている。
お参りして下山、雨が降り出す。


鐘楼

知光上人御廟
当山二代・智光上人は弘法大師伝によると、世に隠れたる聖人二人であり、一人は大和の室生寺堅恵大徳、一人は土佐金剛頂寺の智光上人とあり、堅恵は智恵第一の人、智光は行力第一のの聖人と讃えられています。上人はかつて大師禅定の西寺根本樹下の法窟に籠もり、一生山を出ずして精進修行し、大師が承和2年3月21日高野山に御入定と知るや、御後を慕いて、同年4月21日この地に大師と同様、寂然として入定留身し給うと伝えています。
                              四国霊場会より引用

鯨供養塔
捕鯨八千頭精霊供養塔です。
室戸市は江戸時代から昭和初期まで捕鯨のまちとして栄えましたが、あの大きな鯨が8千頭とは結構大きな数字だと思います。
金剛頂寺は鯨の供養塔があることから、別名「クジラ寺」と呼ばれています。


霊宝殿(写真がありません)
校倉造の霊宝殿、多くの仏像が並ぶすべて国指定の重要文化財。収蔵物もおおくは国指定の文化財。木造阿弥陀如来坐像などが収められている。



主な寺宝 – 金剛頂寺
上品上生(じょうぼんじょうしょう)の定印(じょういん)を結び、頭部は丸く盛り上がり、螺髪(らほつ)が美しく並んでいる。ふくよかで穏やかな表情である。平等院鳳凰堂の阿弥陀如来を刻んだ仏師定朝(じょうちょう)の様式を引き継いだ王朝好みで気品のある阿弥陀如来である。像高は88センチ、寄木造り、平安時代のものである。




チェックインにはかなりの時間があったので、鯨の博物館「キラメッセ室戸」に行く。
昔からの捕鯨(網を使う)を見学した。(入館料お遍路割引で一人150円)
キラメッセ室戸(道の駅です)
鯨館 クジラ資料館


博物館が併設されています。
入館料はJAF会員証提示すると割引があります
住所:室戸市吉良川町丙890-11
☎:0887-25-3500
駐車場:あり

クジラの生殖器  メス

いまは勢子舟のバーチャルリアリティー体験があります。


 民宿「うらしま」に泊まる。一番風呂に入る。夕食は普通。客は我々を入れ3組5人。
朝起きると雨は止んでいた。



修行の道場:第24番~第39番札所:土佐の国(高知県)
第1番札所から325.9㎞
金剛頂寺→27.5km


27番竹林山(ちくりんざん)地蔵院(じぞういん)神峯寺(こうのみねじ)
住所:高知県安芸郡安田町唐浜2594番地
宗派:真言宗豊山派
創建:伝:天平2年(730)
開基:行基菩薩
御本尊:十一面観世音菩薩
駐車場:あり30台 300円 
☎:0887-38-5495
駐車場:あり


真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌:み仏の 恵みの心 神峯 山も誓ひも 高き水音


歩き遍路
「土佐の関所」「遍路ころがし」と言われ四国八十八箇所屈指の難所


神峯寺は邪心を持った人は先に進めないという第19番・立江寺に続く土佐の「関所寺」です。
厳めしい関所寺にふさわしく、630mの神峯山・山頂付近にあります。



「真っ縦」と呼ぶ、急な参道をせり上がっていきます。
道はかなり狭い焼山寺や鶴林寺と同じく曲がりくねった険しい山道が続いた後、売店食堂がある駐車場に着く、駐車場から更になだらかな石段を上がっていくと山門が見え、通り抜けるとようやく平地が開けて来る。やっと着いたと思ったら、そこには鐘楼と納経所の建物があるだけで本堂と大師堂は急勾配の石段(150段)を上がったところにある。


縁起によれば神功皇后が朝鮮半島進出の戦勝を祈願し天照大神を祀ったのが起源とされ、天平2年(730年)に聖武天皇(在位724~749)の勅を受けて行基が十一面観世音菩薩を刻み、本尊として合祀し開創したという。その後大同4年(809年)に空海(弘法大師)が堂宇を建立し、観音寺と号したといわれる。
しかし明治の廃仏毀釈で一時胚廃寺となり明治中期に再興された。


仁王門
仁王門から本堂までは、約150段の石段を登りつめる。
石段を上がり始めると両側が綺麗に整備された日本庭園がある。
四国霊場随一の美しさ(四季折々の花を咲かせると案内書にはあった。)


本堂

本堂内部

大師堂
平成4年に落成した新しい大師堂です

  経堂  旧大師堂 

みちびき大師


不動明王


この寺は三菱財閥創始者である岩崎弥太郎の母親が、息子の開運を祈願して熱心にお参りしたことでも知られています。母親は安芸市にある自宅から寺までの20kmを歩き、さらには「真っ縦」を登る・・・という苦労を約21日間も続けました。母の愛のなせるわざか、明治維新までは土佐藩の下級武士だった岩崎家の出身ながら、弥太郎は日本を代表する大財閥の総師となることができたといいます。


石清水
急坂で疲れた遍路の喉を潤してくれるのは、鐘桜の裏手に湧く石清水です。この水は病気平癒に霊験あらたかであるという言い伝えがあります。この水には一つの伝説が残っています。北海道在住の女性が病の床につき、危篤状態の時に夢に弘法大師が現れました。大師は女性に鐘桜の後ろから湧く水を飲ませてくれたが、目覚めた後に女性は一命をとりとめました。その後、女性が夢に出た場所をこの神峯寺で見つけたといいます。


大型バスは入れない、マイクロバスに乗り換えてお遍路さんが来る。
鐘楼の裏手にある石清水でのどを潤す。病気平癒の霊験があると伝えられている。
ぜに味わってください。




神峯寺→37.5km→28番:大日寺

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