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滋賀県  彦根城 日本名城100選 国宝

彦根城 (金亀城・こんきんじょう)
住所:滋賀県彦根市
駐車場:あり


築城:井伊直継  1622年  (元和8年)
複合式望楼型 3重3階地下1階

日本100名城100選、日本の歴史公園100選にも選ばれています。
そもそも彦根には、石田三成の居城であった佐和山城があったのですが、1600年の関ヶ原の戦いのあと彦根には徳川四天王の一人・井伊直政が18万石で入りました。
佐和山城跡は近くのお寺の裏から上ることが出来ます。

天秤櫓
この橋の下を通らないと城門にはいくことできません。

天秤櫓の内部

天秤櫓からの眺望

井伊直政は、賊将・石田三成の佐和山城を嫌ったのです。また、領民から大変慕われていた石田三成の遺構を破却し新しい政治を行おうと、琵琶湖に近い磯山に彦根城の築城を計画します。
関ヶ原で受けた鉄砲傷が元で、破傷風となった井伊直政は1602年2月1日にこの世を去ります。
井伊直勝(井伊直継)は1603年から彦根城の築城を開始し、1606年に天守が完成すると居城を彦根城にしました。ちなみに彦根城の建造には、佐和山城だけでなく、小谷城、長浜城、大津城などの石垣や建造物も移築・再利用されたと言います。いずれも秀吉に関係する城です。
工事は徳川幕府が主導し、近隣の大名も人足など負担したのですが、1614年の大阪の陣からは工事が中断しました。その後、井伊家のみで工事を再開させ、彦根城の全体の工事は1622年に完成を迎えました。しかし、明治維新には多くの城が破却されましたが、明治天皇の北陸巡幸に同行した大隈重信が、彦根城の破却を惜しみ、天皇陛下に保存を願い出て解体が中止されたと言われています。
彦根城の鉄砲狭間・矢狭間は、天守に全部で75あるそうですが、外からだと、どこにあるのかわからないように、しっくい壁が塗り込められていると言う特殊な構造となっています。
また、武者隠しなども往時のまま現存しています。


天守からの眺望











彦根城博物館

能面が多く展示されていました。


再建された御殿庭園


ひこにゃん です


上記三点は彦根城パンフレットから


彦根城の城域にある玄宮園(げんきゅうえん)と楽々園(らくらくえん)があります
玄宮園は、琵琶湖や中国の瀟湘(しょうしょう)八景にちなんで選ばれた近江八景を模して作られたとされ、やはり井伊直興が1677年に造営しました。
彦根城の天守を借景に取り入れて、池には4つの島と9つの橋が架かり、湖畔に臨池閣、鳳翔台、八景亭などの建物を配置しています。

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