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四国八十八ケ所 車で遍路の記録/ 第16番  観音寺 ・第17番 井戸寺 ・第18番 恩山寺

                                 2020年1月掲載
                      2021年5月21日 一部文字修正 写真追加
第1番札所から104.6㎞
16番 光耀山 千手院 観音寺 
住所:徳島県徳島市国府町観音寺49-2番地
宗派:高野山真言宗
創建:伝:天平13年(741)
開基:伝:聖武天皇(勅願)在位724年~749年
御本尊:千手観世音菩薩(弘法大師作)
☎:088-642-2375
駐車場:無料 7台程度
徳島自動車道・藍住ICから県道1号を徳島市内へ。さらに国道192号を石井町方面へ。約20分
真言:おん ばさら たらま きりく
御詠歌:忘れずも 導きたまへ 観音寺 西方世界 弥陀の浄土へ


聖武天皇が国分寺建立の勅命を出した際に行基に命じて勅願道場として本寺を建立、弘仁7年(816年)に空海が巡錫した際に本尊として千手観音像、脇侍に不動明王と毘沙門天を刻んで安置、現在の寺名に改め開基しました。
その後、長宗我部氏の兵火により焼かれるが、江戸時代の万治2年(1659年)に再建されました。
寺に伝わる光明真言の印判(お遍路さんの白装束の襟に押印するためのもの)は大師の手跡を元にしたものといわれ、四国霊場中、他では見られない貴重なものとなっている。
住宅街の狭い道を進んでいくと、堂々とした和洋重層の仁王門が目につきます。


山門山号扁額『光耀山』

仁王門を入ると、本堂と大師堂はすぐです
山門(鐘楼門) 和様重層の堂々とした門であり、こぢんまりした境内に重みを見せている。




夜泣き地蔵
夜泣き地蔵は子供の夜泣きを止めてくれる地蔵尊で、子供の病気平癒、健康と成長を祈願
する。ご利益をあずかったお礼にと、何枚もの前かけが奉納されている。



絵馬
炎に包まれた女性が描かれた奉納額で、本堂内に掲げられている。明治時代にあった遍路
の実話というが、見ることはできなかった。




次の第17番札所・井戸寺まで約3.8km


第一番札所から107.4㎞
17番 瑠璃山 真福院 井戸寺 
住所:徳島県徳島市国府町井戸北屋敷80-1番地
宗派:真言宗善通寺派
御本尊:七仏薬師如来
創建:伝:白鳳2年(673)
開基:天武天皇(勅願)
☎:088-642-1324
駐車場:無料、普通30台 大型も駐車できます
真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:面影を映してみれば井戸の水 結べば胸の垢や落ちなん


天武天皇の勅願により673年に創建した妙照寺が前身と伝わっています。聖徳太子の作といわれている七仏薬師如来は四国霊場中、最大の本尊です。
また、本尊を七仏薬師如来にしているのは、四国霊場では、ここ井戸寺だけです。


伝承では弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)が来錫、十一面観世音菩薩、十二神将、四天王、日光菩薩、月光菩薩を刻んで安置したと伝わっています。また、その際に土地の人々が水不足で困っていることを知り、錫杖で一夜にして井戸を掘った。そこでこの地を井戸村と呼ぶようにし、寺号も井戸寺と改めたとされました。


弘法大師は水に映った自らの姿を石に刻んだといいます。
この像は、日限(ひかぎり)大師と呼ばれ、1日、1週間、1ヶ月など日を限り、その間、欠かさずお参りし願い事をすると、願いがかなうといわれています。
その後、貞治2年(1362年)と天正11年(1583年)の二度の兵火に遭って焼失しましたが、慶長年間(1596~1615年)に僧良範が再建し、後に蜂須賀家の援助も受けて再興されました。



山門(仁王門) 朱塗りで大型の武家造り。徳島藩主蜂須賀氏の大谷別邸より移築された。
山門山名扁額『瑠璃山』


訶梨帝母天堂:鬼子母神を祀り、安産に利益(りやく)があるとされる。
日限大師:日数を限定して日参すると願が叶うとされる。



本堂・光明殿(右)
鉄筋コンクリートの本堂は、昭和の火災で焼け残った二体の薬師仏とともに七仏薬師を安置しています。
日光・月光の両菩薩を従えて、中央に主尊の薬師瑠璃光如来を安置し、左右に三体ずつの薬師像が並んでいます


大師堂


面影の井戸 (日限大師)
お加持水は持ち帰りできる、備え付きの容器に入れ容器代は賽銭箱に入れる。


弘法大師の縁起を語る井戸は、いまも日限大師堂の中にあります。
水をのぞいて姿が映れば無病息災であるが、映らない場合は3年以内に不幸があるという。
私たちも恐る恐る覗き込みました。
よかたー。姿が映りました。


 この寺を参拝し道路へ出てくると、外人の夫婦らしきお遍路に出会う、会釈してすれ違
う。歩き遍路している様子でリュックを担いでいた。歩き遍路の地図も所持していた。
歩き遍路は、40日~50日かかり一日1万円としても二人で100万円ほどかかる。
 弘法大師が一夜にして掘ったと言われる面影の井戸。覗き込んで自分の姿が映れば無病
息災。映らなければ近いうちに病になるといわれている。一応夫婦の姿はしっかりと見る
ことができた。



次の第18番札所・恩山寺まで約17.4km



第一番札所から130.9㎞
18番 母養山 宝樹院 恩山寺 
住所:徳島県小松島市田野町字恩山寺谷40番地
宗派:高野山真言宗
創建:不詳、伝:天平年間(729〜749)
開基:伝:行基、聖武天皇(勅願)在位724年~749年
御本尊薬師如来
☎:0885-33-1218
駐車場:無料、普通20台 大型車可
真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:子を産める その父母の 恩山寺 訪いがたき ことはあらじな

お寺への道の小川を渡ったところの右手に古びた小さな山門があった。ここから寺まで
かなりの道のり、行くときはここが恩山寺の山門(ちらりと眺め古びた門だな)とは気が
つかなかった。次の札所に向かう時ここに立ち寄る。早速車から降りて写真を撮る。遍路
道はアスファルトの道路を外れ右手をあがって行くようである。門にはかなりの年代を経た巨大なわら草履がかけてあった。



本堂
大師堂正面(左)、御母公剃髪所(中)、手水場(右)
そこからさらに上がると本堂がある。




弘法堂


聖武天皇の勅願により行基が開基し、当初は大日山福生院密厳寺といい女人禁制の道場であった。
後に弘仁5年(814年)、空海(弘法大師)が本寺で修行していた際に訪問してきたときは女人禁制で上がることが出来ませんでした。
母、玉依御前のために女人解禁の修法を行い迎え入れた。
玉依御前は本寺で出家・剃髪しその髪を奉納したことから、空海が自身の像を刻み現在の寺名に改められました。


境内には玉依御前を祀る小堂があり、母君に孝養をつくして、大師が植樹した毘欄樹(びらんじゅ)は、県の天然記念物にもなっています。母君を慕いつくした大師のこころが、いまも宿っているような寺です
鎌倉末期に僧源空が弘法大師の霊地を復興するために入山しました。
以後、寺運は栄えましたが、天正年間(1573~1592年)に兵火に遭って、焼失しますが江戸時代には蜂須賀家の保護を受けて再建されました。


毘欄樹(びらんじゅ)  写真はありません
山門の少し上には、母の来山を記念した大師お手植えのビランジュ(唐木)があります。



次の第19番札所・立江寺まで約4.6km

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