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滋賀県 八幡神社  (那須城跡)中山道一里塚の里

八幡神社  (那須城跡)
住所:豊郷町石畑
交通機関
近江鉄道豊郷駅より徒歩10分
一里塚の隣にあります

一里塚


八幡宮」という扁額の懸けられた「八幡神社」です。
那須城は有名な那須与一の次男なんです。
実は源平の屋島の合戦で扇の的を射落とした那須与一宗高が、その功績によって、この石畑の地と野洲市の木部の地を領地としたことによるようです。那須与一の次男民部大輔宗信次(石畑宗信)がここに城を築き統治したそうです。
宗信が1239年に京都の石清水八幡宮よりご神体を分祀して、城内に八幡神社を築いたのです。
また、宗信は晩年、1258年に寺を建立(称名寺)し、木部で親鸞聖人の教えを受けて出家(1259)したといいます。以来住職は那須姓(現在26世)を名乗られているそうです。現在は浄土真宗本願寺派のお寺です。
そのため、那須城址が八幡神社と称名寺となっているのです。


八幡神社の境内の北西側が中山道に接していて、その道よりに現在、この石標が建てられています。
江戸時代後期、街道の往来でにぎわう中山道の高宮宿と愛知川宿の間に間の宿(あいのじゅく)として発展しました。立場茶屋が設けられ旅人や馬の休息所とされました。ここに一里塚が設けられたのです。


「伊藤忠兵衛翁碑」という顕彰碑が建立されています。この豊郷は近江商人の筆頭である「伊藤忠・丸紅」の創始者、伊藤忠兵衛の生誕地です。その伊藤忠兵衛の本家が、この顕彰碑のすこし南に所在します。現在は「伊藤忠兵衛記念館」として公開されています。

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