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四国八十八ケ所車で遍路の記録 満願のお礼 参り 高野山


最期に体験談
ルート上の道の駅に立ち寄る。
 係りの人から情報が聞けます。また周辺の地図などもあります。
 地域の特産品もあり、お土産に最高です。


満願のお礼参り、御大師様の聖地を訪れる。


私たちは、京奈自動車道で高野口ICを下り、R24号で紀ノ川を大門口で渡る。その後R480を登っていく途中から急こう配の道が続くと急に開けたところに出ます。
そこが大門。高野山の入り口。
最初のころは橋本からR370号で行きましたがここはとても狭くて急こう配の連続です。
いまはもう歩く方はいませんが歩きの方は丹生官省府神社から歩きます。
ここからは石灯篭(町石)が高野山まで180柱ありあす。



このパンフレットは高野山でいただきました。


四国八十八カ所の満願のお礼参りは、高野山の総本山 金剛峯寺 奥の院へ行きます。
この地はとにかく宗教都市のようです。
車で行くと最初に目につくのが大きな大門。とにかくでっかい。
高野山の結界だそうです。左右の金剛力士像は江戸時代の仏師康意(阿形)と雲長(吽形)によるもの。


その大門の横を通ると高野山のお寺群が迫る。

高野山二大聖地である檀上伽藍は弘法大師が最初に開いた場所で、根本大堂や金堂、などが立ち並ぶ。


檀上伽藍
真言密教の根本道場の聖地。今の大塔は昭和12年に再建されたもので内部には胎蔵界の四仏が祀られている。右手の入り口から中に入り拝観する。美しい感動。


根本大塔

東棟



女人堂
ここはかって、高野山は女人禁制であったことから、ここからお参りしていたとのこと
歩き遍路の方は、ケーブルカー降車場からバスに乗りすぐのところにある。


もう一つは奥の院、お大師様を信仰する中心霊地。


参拝は、一の橋から大きな老杉と墓石の間の参道を抜けてゆくと、御廟橋があり、奥の院・燈籠堂から左に廻って裏手にある大師ご廟にてお参りする。 


奥の院-
弘法大師御入定の地である奥の院。弘法大師信仰の中心聖地として高野山の聖域とされています。一ノ橋から御廟までの約2kmの参道沿いには、国の史跡でもある20万基を超える諸大名の墓碑や祈念碑、慰霊碑と杉の大木が立ち並んでいる。


戦国時代の武将の墓碑が多くあった。
武家ばかりではなく現在する会社の記念碑もあります。
特攻隊の慰霊碑などもあり、一体いくつの墓碑、記念碑があるのか、20万基なんて数え
られないですね。


御廟橋
御廟橋から先は写真撮影禁止となっていました。
この橋を渡ると弘法大師御廟への霊域に入ります。この橋を渡るには、橋の前で服装を正
し、礼拝します。


36枚の橋板と橋全体を1枚として37枚と数え、金剛界37尊を表していると言われ、橋板の裏には、仏様のシンボルの梵字が刻まれています。この橋の上で、あの苅萱道心と石童丸親子が初めてめぐり合ったとも伝えられています橋の裏側には梵字が書かれていますがこれは
見ることが出来ません。



☆高野山のホームページをご覧ください。



水向地蔵
御廟の橋の右手前に鎮座する仏様です。
お水をかけてお参りします。


今回は四国八十八カ所の満願のお礼参りなので、根本大堂と奥の院を拝観しました。
とにかく広い、すべて拝観見て廻るには1日では足りません。


ここで頂く精進料理がおいしいですよ。是非味わってください。
仏教においては食事におけるすべての行為も修行の一つです。
一本の草にも私たちと同じ仏の心がありその生命を頂く前に天の恵み他の恵みに感謝し、お米の一粒も残さず、おいしく頂くことが大事なのです。それが精進料理です。
ここは、高野豆腐とごま豆腐が有名。


高野町石・・・国指定史跡
弘法大師が山上の根本大堂から慈尊院まで一町(108m)ごとに木製の卒都婆を建てられたとのこと。


180町石
参道です。私たちは途中まで行きました。


昔は天皇も高野山詣でをするときは、1本一本礼拝して登山されたといいます。
罪障消滅の道でありました。ここは今祈りの道として世界遺産に登録されています。
ハイキングコースにもなっており、約四時間で行けるそうです。


このお札は奥の院で頂きました。
納経帳には御朱印は押すことできません。



     以上で四国八十八所お遍路の旅は終わります。

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