城崎温泉 志賀直哉 [城の崎にて]
志賀直哉が何故この温泉を愛したのか
訪れると良くわかります。
この温泉は私の母と妻の父母、子供一人で訪れました。
これが、妻の両親との初めての家族旅行
苦労を重ねた母、義父は戦後福島から東京へ、東京の下町で飴を売り生活していたと話してくれた。
その後愛知県瀬戸市に兄を頼って来たようです。
瀬戸は窯業が盛んなところです。
そこで、義母と知り合い結婚されたと話してくれた。
義父、義母も苦労を重ねたようです。
名古屋から列車を乗り継ぎ城崎温泉に到着。
街を流れる川はさほど大きくありませんが非常に趣のあるところです。
何故城崎かというと
志賀直哉の短編小説 [城崎にて]に惹かれていきました。
この小説は、随筆となっていて自分の体験を書いています。
列車事故にあった志賀直哉城崎温泉に事故後の療用に行ったことが書かれています。
しかし、どうして山手線で事故になったのかは分かりません。
志賀直哉の旧宅は奈良県奈良市にあります。
近くには、新薬師寺があります。
城崎温泉は、外湯が有名です。
野沢温泉も外湯が趣がありますが、
ここは、比較的静かでゆっくりと散策
しながら外湯を楽しめます。
志賀直哉になった気持ちに浸れるのがいいです。
私ごとですが、母は元日赤の看護婦(師)
父は、薬剤師でした。
私の父は結核となり、国立津病院に入退院を繰り返し、あまり父との想い出はありせん。
病院に行っても直接合うことは出来ません
結核病棟の為、窓越しの面会です。
今でも覚えて入るのは、川に釣りに行った
ことです。楽しかった。鮒と、鰻が釣れた。
そして、療養の為榊原温泉に行きました。
川沿いに立ち並ぶ温泉街、宿の手摺から
見る川とても想い出があります。
退院して、暫くしたある年の2月に父が起きて来ないので見にいくと亡くなっていました。
母、泣き崩れていましたが私には
何があったのか理解できませんでした。
兄二人は泣いていた記憶があります。
それから母は、中学の養護教員となりましたが生活がままならず、生活保護(小学校の学用品)を支給して頂きました。しかし、子供心にはそれが、あまり嬉しくなかった。
母に印鑑を押した紙を学校に持って行くと
教材が貰えるのです。
何か子供心に言い表すここはできません。
兄弟四人(男)と母の協力で生活が始まりました。祖母もいましたか、脳卒中で寝たっきりでした。その祖母の世話は、私達の仕事でした。
中学の時は、昼休みは祖母の食事と下の世話、祖母は涙を流し早く死にたい。
私は祖母に勉強を教わりました。
元女学校の教師でそれは厳しかった。
間違えると三尺のものさしがとんできます。
本当に母には世話になりました。
万引きなどもし母と警察に謝りに行った
記憶が未だ脳裏から離れません。
苦労をかけた母への感謝の為の旅行でした。
一泊、周辺の観光地を巡りました。
温泉寺他
その母も、妻の父母も今は他界して居ません。
歳を重ねる程親の有難さが骨身にしみます。
だんだん自分も老いて来ていつお迎えがくるのか?
以上回想でした。