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四国八十八ケ所車で遍路の記録 /第33番 雪蹊寺・      第34番 種間寺・35番 清滝寺

 2020年1月に公開した記事ですがリトライ記事に必要な文書等を追加、その他の部分も修正(写真追加)して、2021年6月11日に再公開しました。                               


第1番札所から413.9㎞
第33番 雪蹊寺(せっけいじ)
住所:高知県高知市長浜857-3番地
山号:高福山(こうふくざん)
院号:高福院(こうふくいん)
宗派:臨済宗妙心寺派
創建:伝:弘仁6年(815)
開基:伝:空海(弘法大師)
御本尊:薬師如来
☎:088-837-2233
駐車場:普通10台、マイクロバス5台・大型3台 、無料
交通機関
はりまや橋から高知県交通バス25分、長浜出張所下車、徒歩4分
JR土讃線高知駅から約8.5km
真言::おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌::旅の道 うえしも今は 高福寺 後のたのしみ 有明の月


石柱門 (写真はありません)


寺伝によれば空海(弘法大師)の開基で、創建当初は真言宗に属し、「少林山高福寺」と称したという。その後、寺運が衰え、廃寺となっていたが、天正年間(1573年 - 1593年)の後期に月峰和尚が住職となり、土佐国の戦国大名長宗我部元親の後援で臨済宗の寺として復興した。長宗我部元親が病没すると、その菩提寺となり、元親の法名「雪蹊恕三」から「雪蹊寺」と称しました。


鎌倉時代の高名な大仏師、運慶とその長男、湛慶がこの寺に滞在し、運慶は本尊の薬師如来像と脇侍の日光・月光菩薩像を制作、また、湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、つぶらな瞳で小首をかしげるかわいい善膩師童子像を彫造して安置したとされる


これらはすべて国の重要文化財である。 (拝観は予約がいります。


桂浜の坂本竜馬の銅像を見たいと思っていましたが大雨で断念しました。
鐘楼(写真はありません)
鐘はつくことが出来ません(注意書きがありました)


本堂
現在の本堂は平成16年(2004年)に改築されました。


雪蹊寺には、運慶やその子・湛慶などの作による国指定の重要文化財が数多く保存されており、鎌倉仏像の宝庫になっています。
月峰和尚が雪蹊寺を再興したときにこんな話が残っています。
托鉢に訪れた月峰和尚がこの寺に宿をとったとき、夜中に「水も浮世をいとうころかな」と和歌の下の句をすすり泣くようにささやく声がしました。
そのささやき声は翌晩も続くので、これは成仏できない霊にちがいないと思い、「黒染めを洗えば波も衣きて」と上の句をつけてやりました。
そうするとそれ以来、あやしい声はピタリと止んだといいます。
これを聞いた長宗我部元親が、月峰和尚の徳を見込んで再興の援助をしたということです。

大師堂
年代を感じさせる建物




観音堂
納経所の隣には昭和6年(1931年)に改築された小さなお堂があり、馬頭観音がお祀りされています。
馬頭観音は旅の安全を守るといわれるため、お遍路さんが道中の安全を祈願する方が多いです。
この観音堂は実は扉が少し開くようになっていて、天井には松洞庵・横井五仙の天女絵があります。


私たちは内部の拝見しませんでした。



桂浜の見学は雨のため断念


高知城は雨のため断念、はりまや橋は雨のため車窓からのみ。予定時間に余裕
ができたので明日の予定であったが次のお寺をお参りすることとした。この寺の前に駐車場があり、軽トラックの後ろに布団を敷き改造した車が駐車していた車に寝泊まりし、遍路しているのであろう。次の34番・35番へ向かう。


本日のお宿はこの寺の前「高知屋」である。
次の第34番札所・種間寺まで約7.7km



第34番 種間寺(たねまじ)
山号:本尾山(もとおざん)
院号:朱雀院(しゅじゃくいん)
宗派:真言宗豊山派
創建:伝:弘仁年間(810~824)
開基:伝:空海(弘法大師)
御本尊:薬師如来
☎:088-894-2234
駐車場:無料 70台
交通機関
R土讃線高知駅から約13km
高知自動車道・伊野ICから国道56号を春野方面へ。約25分
真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:旅の道 うえしも今は 高福寺 後のたのしみ 有明の月


敏達天皇の時代の577年、摂津四天王寺を建立するために招かれた百済の仏師たちが帰国の途中、暴風雨に襲われてこの地に流れ着きました。
そこで仏師たちは、薬師如来を刻み、海上安全を祈願し本尾山に安置したのが種間寺の始まりと伝えられています。


その後、弘法大師が訪れ、この薬師如来を本尊として堂宇を建てました。
そして、唐から持ち帰った五穀(米、麦、粟など5種類の穀物)の種をこの地にまいたことから種間寺の名が付けられました。
本尾山にあったお寺ですが、伽藍などが破損したため山麓に移し、康保年間(964~968年)には村上天皇から勅願を賜ったと伝えられています。
その後は地元の信仰を集めて栄えましたが、明治4年(1871年)の廃仏毀釈により廃寺になりました。
再興されたのは、明治13年(1880年)です。
本尊の薬師如来は檜の寄木造りの坐像で重要文化財に指定されています。

鐘楼
遠景のみです

本堂
昭和45年(1970年)に高知県に甚大な被害を及ぼした台風10号(土佐湾台風)によって損壊し、その後再建された。
鉄筋コンクリート造り 銅板葺き
木造薬師如来坐像:木造、漆箔、140.3cm、平安時代後期、大正2年8月20日指定

手水鉢
この手水鉢は、延宝5年(1677年)に造られたことがはっきりと刻されている年代物で、この地域では最古のものとして高知市の有形文化財に指定されています。
水を溜める部分が正六角形に彫られております、
高さ38cm直径55cm、延宝5年 (1677) 作、昭和56年12月4日指定



さわり大黒
こちらは平成20年(2008年)に開眼され
ケヤキの寄木造。身丈100cm、全長150cmの大きな大黒天。彩色にて飾らず木地のまま制作。寺院の特徴を活かした大黒さんにしたいとの強い要望により、より独特の姿にする為、【抱き稲の中に種】と言う、『種間寺 さわり大黒』の為だけに紋を作成。寺院の想いが詰まった、まさに世界に一つだけの『種間寺さわり大黒』が本堂内にてお迎えしてくれます。
小槌にある「抱き稲に種」の紋はさわり大黒さんのために作られたオリジナルのものだとか。側面には「さわり大黒」と刻まれていました

大師堂
宝珠 銅板葺き
両脇には立派な龍の彫り物が施されています
阿吽の像です

大師堂阿吽の龍


子育観音
観音堂にはたくさんのひしゃくが奉納されています。
ずらっと並んでいるひしゃくはすべて底がない不思議なものですが、底がないひしゃくは”通りがよい”→母親が苦しまず安産できるように、という願いが込められているとか。
種間寺の安産祈願では、妊婦さんが持参したひしゃくの底を抜いて、1週間の安産祈願をしてお札を添えて妊婦さんに返すのが習わしです



猫碑(写真はありません)
門柱を入るとすぐ、いろいろな石仏が並んでいるんですが注目すべきは地蔵菩薩の足元。
なんだか猫のような石碑
「猫碑(ねこひ)」は飼い猫の供養や穀物を荒らすネズミを狩る猫を神さまとして祀ったものといわれ、猫の姿を刻んだ石碑のこと。




次の第35番札所・清瀧寺まで約13k



第1番札所から421.2㎞
次の第35番札所・清瀧寺まで約13km


35番清瀧寺(きよたきじ)
住所:高知県土佐市高岡町丁568-1番地
山号:醫王山(いおうざん)
院号:鏡池院(きょうちいん)
宗派:真言宗豊山派
創建:伝:養老7年(723)
開基:伝:行基
☎:088-852-0316


駐車場:特に駐車場はないが境内へ乗り入れできる。


真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:澄む水を 汲むは心の清滝寺 波の花散る 岩の羽衣
JR土讃線伊野駅から約10km
高知自動車道・土佐ICから伊野町方面へ北上。約10分。


行基が養老7年(723年)に本尊薬師如来を刻んだのが清瀧寺の始まりで、このときは景山密院繹木寺だったそうです。


後の弘仁年間(810~824年)、弘法大師がこの地の山中で7日間の修行を行い、満願の日に地面を金剛杖で突いたところ、清水が滝のように湧き出てきて鏡のような池ができたといいます。
そこで、大師は寺の名前を医王山鏡池院清瀧寺に改めました。
清瀧寺は、鎮守である山王清瀧権現とともに信仰を集め栄えましたが、江戸時代に入って火災に遭い焼失しました。
慶安4年(1651年)、土佐二代藩主・山内忠義により再建されました。
その後、明治4年(1871年)の廃仏毀釈により廃寺になりましたが、明治13年(1880年)に再建されています。


細い道を上っていく。対向車が来たら離合できるところまでバックするしかない。幸い
出会う車はなかった。車で行ったため、山門には寄らなかった。山門の天井には龍の
絵があるらしい。次回は寄ってみよう


山門
天井画
明治33年(1900年)の久保南窓の筆による八方にらみの龍が描かれています。


本堂
駐車場に着くと本堂の前には、身の丈15mの薬師如来立像があり台座内部は戒壇巡り
(108段)ができる仕組みになっている。自分たちは中には入らなかった。
本堂入り口天井には方角盤がある。


真如は平城天皇(在位806~809年)の皇太子で高岳親王といったが、薬子の乱に連座して皇太子を廃されて出家して名を真如と改めました。
真如は貞観4年(862年)に中国に向かい、のち天竺(インド)をめざして旅を続けましたが、ラオスで虎におそわれて入寂したといいます。
清瀧寺は「高岡のお大師さん」と呼ばれ、安産祈願のお寺でもあります。





次の第36番札所・青龍寺まで約18km


お参りを済ませ、本日宿泊する宿へ向かう。(雪渓寺の門前にある高知屋)。
一晩中雨が降っている。
明日も雨なら大変だなーと思いつつ眠った。

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