岐阜県 海津市 治水神社 薩摩藩士の苦難の歴史が刻まれています
治水神社
住所:岐阜県海津市
祭神:平田靱負
駐車場:10台位
交通機関
近鉄養老線 多度駅出口から徒歩約43分
この前に駐車場があります。
正規の入り口は駐車できません。
ここには昔渡し船がありました。
後方に見えるのが木曾三川公園のシンボルタワワーです。
渡船場
観音堂
ここに昔は船上の喫茶店、食堂がありました。
神社総門
拝殿
本殿
摂社
手水舎
此方が神社の入り口
木曽三川公園の隣にある神社ですが訪れる人はほとんど見かけることはありません。
多くの人は公園で遊んでいますが、江戸時代の悲惨な事実はあまり知られていないのが実情です。
治水神社は、木曽三川分流の治水工事に尽力されました。
薩摩藩家老・平田靱負と薩摩藩士等の功績をたたえ、犠牲となった多くの藩士達を慰霊するために、昭和13年に現在の地に創建されました。
この工事は、薩摩藩の財政を大きな打撃であった。これはおそらく江戸幕府の陰謀で薩摩藩の国力を落とすためであると思われます。(この頃薩摩藩は琉球(現在の沖縄)との交易))で利益があったようです。
藩士藩士51名、病死33名という多大な犠牲者がでました。
幕府に抗議の為切腹された方も居られます。
中には、幕府の役人も余りにも過酷な仕打に同様に切腹された方も居られます。
そのため責任をとって平田靱負は、今も残る油島千本松締切堤の完成後に自害しました。
この神社平田靱負を御祭神として、地元の人々の浄財で建てられました。 揖斐川と木曽川が合流する背割堤にあり、檜造りの荘厳な社や観音堂が趣深く、歴史を感じさせます。
岐阜県南濃には他にも多くの薩摩藩士の遺跡があります。
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神社前から千本松原が続きます。
この道の左側に長良川、揖斐川の中堤防
があり、今も多くの車両が行きかつて
います。(桑名市まで続く)