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岐阜県 海津市 行基寺  お月見の寺

行基寺  お月見の寺
住所:岐阜県海津市南濃町上野河戸1024-1
山号:臥龍山
宗派:浄土宗
創建:1300年前
開基:行基菩薩
拝観料:400円
駐車場:30台前後
国道258号線からかなり上ります。
通称 大桑国道

駐車場
ここに燈台があります。


駐車場から名古屋方面の眺望


電話:0584-55-0031


交通機関
近鉄名古屋線:名古屋駅→桑名駅(乗換)養老線(美濃山崎駅)
タクシー利用が便利です。


行基寺への山道ですが、夜景スポットでも有名ですが、急勾配の連続大きく曲がるカーブの連続です。冬季は凍結のため通行禁止です。


駐車場からお寺の道
まるで城郭のようです
一説によると、緊急時は高須藩の出城として機能していたようです。


急坂運転に慣れていない方は第二駐車場から徒歩でいかれたほうが無難です。
普通車はかなり離合が困難です。


昔は岐阜の金華山も夜景が綺麗でしたが今は夜間は閉鎖されています。
ですから、名古屋からも近いここが貴重な夜景を鑑賞できるスポットでしょう。


山 門
文政3年[1820年]の建立
かなり立派です。
扉には葵の御紋が彫刻されています。
二層式で上部には仏像が安置されているそうですが、公開はされていません。

徳川家の紋

龍の彫刻

境内から山門を見る

二層に登る階段


西国三十三カ所の石仏

西国三十三カ所石仏


本堂
天保3年(1832年)再建された。
一光三尊弥陀仏が安置されています。
非公開



尾張徳川家との関わり 
美濃高須藩松平家について
美濃、尾張、伊勢(桑名)の境が美濃高須藩のあった処になります。廃藩までは、尾張藩分家として三万石の小藩ではありましたが、徳川家康の曾孫松平義行公に始まり、御三家を除けば将軍家筆頭家門というべき家柄で、江戸城における格式も高く大大名と同格でした。


高須藩松平家は、尾張徳川家の分家、支藩になりますが、尾張藩主に後継者が絶えた場合に相続人を出すべき役割がありました。両家の関係は密接で、江戸時代尾張六十二万石の17代藩主のうち4代が高須藩松平家の出身でした。


 幕末から明治維新にかけて大きな役割を担い歴史に名を残した、尾張藩主徳川慶勝(よしかつ)、徳川茂徳(もちなが)、会津藩主松平容保(かたもり)、桑名藩主松平定敬(さだあき)公は美濃高須藩松平家出身の四兄弟です。


このお寺は観月会で有名ですが、新型コロナの影響で観月会は中止となりました。
また、庭園も閉園中です。



回廊式庭園
庭園は、宝永二年(1705年)に美濃高須藩松平家初代松平義行公が当山再建と同時に縁山和尚により作庭された回廊式庭園です。


中秋の名月
庫裡にある月見の間からの観月
行基寺では、毎年、中秋の名月の夜間にお月見参拝を行われています。
濃尾平野に浮かぶ名月を堪能できます。


板碑(重要文化財)
少し小高い丘の上にあります。
行基入定の地と伝えられている行基塚の上に建っている板石塔婆です。
永和3年(1377年)の年号が刻まれています。


傍らにある自然石の副碑には、行基菩薩御入定御墓、天平勝宝元己丑二月二日御入寂などといった内容が刻まれています。
一般的には行基は、生駒市の竹林寺に埋葬されたと言われています。


ここ行基寺では天智天皇6年(667年)に生誕、天平宝字元年(757年)この地でで入滅、埋葬されたと記載があります。


今回は拝観できません。通行止めでした。


七重の塔(重要文化財)

七重の石塔

この上に行基菩薩のお墓があります。

観音堂


櫓時計
今も時を刻んでいます。
今回は拝観できませんでした。


地獄絵もありますが拝観はかないませんでした。

わたし達は死ぬと自分自身の業により輪廻転生を繰り返します。すなわち、この世で悪いことをすれば地獄におち、善いことをすれば天界に生まれかわるということです。


地獄絵図を展示、公開されています。
しかし、現在新型コロナの影響でお寺外部のみ拝観で内部は拝観できませんでした

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