四国八十八ケ所車で遍路の記録/第58番仙遊寺(せんゆうじ)・第59番国分寺(こくぶんじ)
菩提の道場:第40番~第65番札所:伊予の国(愛媛県)
2020年1月14日公開
2020年8月25日一部修正 寺名記入
2020年1月14日公開しその後寺名記入した記事ですが、リライト記事に必要な文言等を追記他の部分(写真等)追加・修正して2021年7月13日に再度公開しました。
57番:栄福寺→2.4km
第58番仙遊寺(せんゆうじ)
住所:愛媛県今治市玉川町別所甲483番地
山号:作礼山(されいざん)
院名:
宗派:高野山真言宗
創建:伝:七世紀後半
開基:伝:越智守興
御本尊:千手観世音菩薩
☎:0898-55-2141
駐車場:有料[400円]=普通30台、大型4台
西瀬戸自動車道(しまなみ海道)・今治ICから国道196号、国道317号を玉川町方面へ。約20分。
交通機関
JR予讃線いまばり駅⇒瀬戸内バス鈍川線(約15分)⇒大須木 下車
真言:おん ばさら たらま きりく
御詠歌:立ち寄りて 佐礼の堂に 休みつつ 六字を唱え 経を読むべし
山門
ここから登るとかなり距離がある。
山門前を車で通り過ぎ180度Uターンするように登坂すると駐車場があります。
山門では車から降りて写真撮影のみ行った。
仁王さん
吽形/阿形像
徒歩では、山門から距離約400m、標高差約40mの急坂を登ります。
徒歩は、ここを登って行きます。
山門裏側には大きなわらじが奉納されていました。
参道の地蔵様
写りが悪いですが 慈母観音様
本堂
昭和22年(1947年)に山火事に遭い焼失しましたが、昭和28年(1953年)に昔の形そのままの再建されました。
大師堂
ここはこじんまりとしている。
仙遊寺は、天智天皇(在位668~671年)の勅願により伊予国守・越智守興(おちもりおき)が開きました。
天智天皇の念持仏である本尊千手観音菩薩を竜女が海から竜登川を伝って作礼山に登り、一刀三礼(一刀刻むごとに三度礼拝)して何日もかけてお刻みになったことから作礼山と号しました。
その後、毎年旧暦の7月9日になると、決まったように竜燈が竜登川を伝って作礼山を登り、お寺にある桜の木にかかったといわれているそうです。
この伝説は、海洋信仰との結びつきが強いようで、竜燈は船の道を示す灯台の役割を果たし、古代の修験道では、修験者が海が見える山頂から海を礼拝したそうで、山のお寺でありながら、海の信仰の地であったという話です。
養老年間(717~724年)、阿坊仙人という僧がここで40年間養老2年(716年)まで仙人のような生活をしていましたが、ある日こつ然と雲のごとく姿を消してしまったそうです。
このことから仙遊寺という寺号が付いたといわれています。
平安時代の初期、弘法大師がこの地を訪れ再興しました。
山門から寺に至るまでの旧参道には、弘法大師がこの地を訪れたとき、病で苦しむ人々のために掘ったとされる「大師加持水」が今も残っています。
ここで汲み上げられた水は霊水として諸病に効き目があったと伝えられています。
境内には日本最後の入定仏、宥蓮上人の五輪塔があります。
仙遊寺→6.1km→59番:国分寺
第59番国分寺(こくぶんじ)
住所:愛媛県今治市国分4-1-33
山号:金光山(こんこうざん)
院名:最勝院(さいしょういん)
宗派:真言律宗
創建:伝:天平13年(741)
開基:伝:行基
御本尊:薬師瑠璃光如来
電話番号:0898-48-0533
駐車場:有料 普通10台、大型3台
西瀬戸自動車道(しまなみ海道)・今治ICから国道196号を西条市(旧東予市)方面へ。約15分。
交通機
JR予讃線いまばり駅⇒瀬戸内バス桜井団地循環線(約30分)⇒国分寺 下車
真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:守護のため 建ててあがむる 国分寺 いよいよ恵む 薬師なりけり
山門はありません
境内に握手修行大師像があります。
修行大師様と握手してお願いしてください。
願い事は一つにしてください。
あれもこれもはいけません。
お大師様も忙しいですから!
と書いてあります。
大きな黒光りした薬師壺があります。
薬師のつぼは壺に触れ健康を念じながら真言を唱えるとご利益があると言います.
本堂屋根
本堂 菊の御紋
本堂右手に大師堂
宝珠造り
聖武天皇(在位724~749年)の勅願により、諸国に建立されたのが国分寺です。
伊予の国分寺は天平13年(741年)、行基が薬師如来を刻んで開基しました。
当時は七堂伽藍を整えた豪壮な大寺院であり、高さ60mに近い七重塔であったといいます。
後に弘法大師がこの寺に長く留まり、五大尊の絵像一幅を残しました。
また、弟子の真如も2年間滞在しました。
現在の場所から東に100mほどはずれた所にあり、創建当時のものと思われる巴瓦や唐草瓦が出土し、円形の柱座を持つ巨大な礎石も残っています。
この巨大なお寺も、後のいくつかの戦乱で焼失と再建をくり返しながら規模は小さくなっていき、小堂のみが残っていたといいます。
現在の本堂は寛政元年(1789年)に十三代目住職が建立したものです。
次のお参りは
国分寺→から60番横峯寺は距離の関係で
先に61番香園寺に行くことにしました。
今日はここまでにして今夜の宿泊場所へ
コスモオサムで宿泊 8800円
コンビニで弁当購入してから入館した。