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四国八十八ケ所車で遍路の記録/ 56番泰山寺 ・57番 栄福寺

菩提の道場:第40番~第65番札所:伊予の国(愛媛県)


2020年1月14日公開
2020年8月25日一部修正 寺名記入
2020年1月14日公開しその後寺名記入した記事ですが、リライト記事に必要な文言等を
追記他の部分(写真等)追加・修正して2021年7月12日に再度公開しました。


第55番:南光坊→3.0km
第1番札所から975.2㎞


56番泰山寺(たいざんじ)
住所:愛媛県今治市小泉1-9-18番地
山号:金剛山(こんごうざん)
院名:愛媛県今治市小泉1-9-18番地
宗派:真言宗醍醐派
創建:伝:弘仁6年(815)
開基:伝:弘仁6年(815)

御本尊:地蔵菩薩(弘法大師作)

☎:0898-22-5959
駐車場:無料、普通30台、大型4台
西瀬戸自動車道(しまなみ海道)・今治ICから国道196号を西条市(旧東予市)方面へ。約5分


交通機関
R予讃線今治駅から約2.5km真言:おん かかかび さんまえい そわか


御詠歌:みな人の 詣りてやがて 泰山寺 来世の引導 たのみ置きつつ


ナビ通り進むとお寺の墓の方へ進んでしまった。あわてて下へ降りる。ぐるぐると迷走しやっと駐車場へたどり着く。よく見ると大きな道から真っ直ぐの道があるではないか、
ナビも当てにはならないことが実感。

まず石柱があります。左側に売店

すると石垣が右手にあり進んでいくと石門、山門はありません。
城郭のような堅固な塀に囲まれている。


地蔵車
(本堂斜め前。石塔に丸い輪があり、これを回すと六道輪廻の絆を断てるといわれる。六道は、地獄・餓鬼など衆生が背負う六つの迷界。)

石段を上がると本堂が右側にあります。
裳階付きの立派な本堂
地蔵菩薩が安置されています。


鐘楼の傍には3代目といわれる弘法大師お手植えの"不老松" が見える。
本堂わきにはずらりと並ぶ石仏がありました。


不忘の松
大師は、この修法の地に「不忘の松」を植えて、感得した地蔵菩薩の尊像を彫造して本尊とし、堂舎を建てて「泰山寺」と名づけました。


弘仁6年(815年)、弘法大師がこの地を訪れた時は蒼社川は氾濫していたようです。
弘法大師は、その氾濫ぶりを見て、村人たちを指導して、土手を築き、河原に堰を築き、そして「土砂加持」の秘法を行ったところ、満願の日に延命地蔵を感得したといいます。
大師はその尊像を刻み、金輪山一帯に伽藍を建立しました。
天長元年(824年)、淳和天皇(在位823~833年)の勅願所となって、延命地蔵を祀る泰山寺を本坊とし、塔頭に地蔵坊、不動坊阿弥陀寺、観音寺、泉ノ坊など10坊を擁する大寺になりました。
しかし度重なる兵火により、金輪山の山頂にあった境内が麓の現在地、大師お手植えの「不忘の松」があったところに移ったと伝えられています。
白壁塀の外には、七体の仏像が置かれています。


大師堂
本堂ら離れたところにあります。
宝珠造り



次は

泰山寺→3.1km→57番:栄福寺


第1番札所から978.2㎞
第57番栄福寺(えいふくじ)
住所:愛媛県今治市玉川町八幡甲200番地
山号:府頭山(ふとうざん)
院名:無量寿院(むりょうじゅいん)
創建:伝:弘仁年間(810~824)
開基:伝:空海(弘法大師)
御本尊:阿弥陀如来
☎:0898-55-2432
駐車場:無料(志納金制)、普通5台
境内下に民間の駐車場があります。
西瀬戸自動車道(しまなみ海道)・今治ICから国道196号、国道317号を玉川町方面へ。約10分


交通機関
JR予讃線今治駅から約4km真言:おん あみりた ていせい からうん


御詠歌:この世には 弓矢を守る 八幡なり 来世は人を 救う弥陀仏


山門はありません


本堂
一番高い場所にあります。
ここには、一寸法師の彫刻がありました




立派な彫刻 思わずシャッターをきる


本堂の脇に置かれた少年の箱車(三輪で鉄の車がついている)
足の不自由な少年が、犬に引かせて巡礼した箱車で、本堂から転倒しました。
その際、不自由だったはずの足が治癒するという不思議な出来事が起こりました。
少年は、昭和8年にこの寺で足が治り松葉杖とともに奉納したもの。
箱車は本堂の縁に置かれ、以後栄福寺は足腰守りのお寺としても、信仰を集めています。
同様な箱車は第22番札所平等寺にもありました。


大師堂
本堂て前の右側
宝珠造り
以前は山頂にあったそうです。
明治元年の神仏分離令により、山頂にあった建物をそのまま現在地に移築してきたと伝えられます。
彫刻が素晴らしい
十二支の動物の彫刻が施されています。
何故だか写真が残っていません。残念です。


もう一段下に薬師堂があります。(写真がありません)


栄福寺は、嵯峨天皇(在位809~823年)の勅願により弘法大師が開基しました。
このころ瀬戸内海では海難事故が多く、弘法大師が府頭山の頂で海神供養の護摩を修していると、満願の日に海は穏やかになり、海中から阿弥陀如来が現れたといいます。


 弘法大師はこの尊像を奉拝して、府頭山に登り寺を建て安置し、四国霊場としました。
その後、貞観元年(859年)、行教上人が男山八幡宮創建のために宇佐へ向かう途中、海が荒れてこの地に漂流してしまいました。
そして府頭山を見ると、いかにも男山に似ていて、阿弥陀如来は八幡大菩薩の本地仏でもあるため、そこに縁を感じて山頂に登り祈願したところ、霊のお告げがあり、それで寺の境内に社殿を建て、神仏習合の寺となり、勝岡八幡宮としました。


慶応4年(1868年)3月の神仏分離令により、寺だけが現在地に移されました。


栄福寺には寛政12年(1800年)に九州からやって来た遍路が納めた古い納経帳が残っています。
これによると当時の遍路は3ヶ月かかって、八十八ヶ所を廻っていたことがわかります。


現在の住職はエッセイ「ボクは坊さん。
映画「ボクは坊さん。」の白川密成さんが住職
この本は、2015年10月24日(今治市では10月17日に先行公開)に伊藤淳史主演の映画化し、第49回ヒューストン国際映画祭のプラチナアワード(長編映画部門最高賞)とシカゴ・アジアン・ポップアップ・シネマのオーディエンス・チョイス・アワードを受賞しています。




次は
栄福寺→2.4km→58番:仙遊寺

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