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四国八十八ケ所車で遍路の記録/第61番香園寺(こうおんじ)・第62番宝寿寺(ほうじゅじ)

菩提の道場:第40番~第65番札所:伊予の国(愛媛県)


2020年1月14日公開
2020年8月25日一部修正 寺名記入
2020年1月14日公開しその後寺名記入した記事ですが、リライト記事に必要な文言等を
追記他の部分(写真等)追加・修正して2021年7月15日に再度公開しました。


お遍路に出かける前に私達は、バナナとチョコレート、ペットボトルのお水は必ず持参しました。
バナナは、疲労に良いと聞いています。
筋肉痛に良かった。


61番香園寺までは高速道路を使うことで大幅に時間を短縮。
本日の予定は67番まで


とてもお寺とは思えない。近代的なビル(二階建て)である。駐車場に車を止めると、
観光バスが停車していて、お寺から30人程のお遍路さんが出てくる。宿坊に泊まった様
子。


第61番香園寺(こうおんじ)
住所:愛媛県西条市小松町南川甲19番地
山号:栴檀山(せんだんざん)
院名:教王院(きょうおういん)
宗派: 真言宗単立
創建:伝:六世紀後半
開基:伝:聖徳太子


御本尊:大日如来
☎:0898-72-3861
駐車場:無料、普通75台、大型3台
今治小松自動車道・いよ小松ICから国道11号を西条市方面へ。約5分。


交通機関
JR予讃線伊予小松駅から約2km


真言:おん あびらうんけん ばざらだどばん
御詠歌:後の世を 思へば詣れ 香園寺 止めて止まらぬ 白瀧の水



大聖堂 
褐色の大聖堂とも呼ばれています。
昭和51年に6億円かけた鉄筋コンクリート製です。
大聖堂は、本堂と大師堂を兼ねた建物となっています。
1階が大講堂、2階が本堂と大師堂になっており、正面に本尊がまつられている。大聖堂は正面から拝むことができるほか、横の入口から内陣に入ることもできる。
堂内・正面には黄金色の巨大な大日如来(本尊)、脇侍の不動明王、子安大師が祀られています。
本堂は柱は一本もなく、827席もの固定席があるようです。まるでコンサートホールのような様子。


弘法大師さまは大日如来像のさらに奥に安置されています。
ほとんどの人は二階には上がってこない。一階でお参りできるからのようです。。


子安大師堂
境内の奥の方に安産祈願があります


香園寺は、飛鳥時代に用明天皇(在位585~587年)の病気平癒を祈願して聖徳太子が建立しました。


この時、金衣白髪の老翁が現れ、大日如来を本尊として安置しました。
天平年間(729~749年)には、行基も留錫したといいます。
大同年間(806~810年)に弘法大師が巡錫中、この寺の麓を通りかかったとき、大師は難産で苦しんでいる女性を加持し、安産をもたらしました。
その際、大師は唐から持ち帰った大日如来の金像をご本尊の胸に納め、栴檀の香を焚いて、護摩修法を行ったといいます。
これが山号・栴檀山の由来です。


http://www.koyasudaishi.or.jp/


香園寺→1.3km 62番:宝寿寺


第1番札所から1065.4㎞
第62番宝寿寺(ほうじゅじ)
住所:愛媛県西条市小松町新屋敷甲428番地
山号:天養山(てんようざん)
院名:観音院(かんのんいん)
宗派:高野山真言宗
創建:伝:天平年間(729~749)
開基:伝:道慈律師、聖武天皇(勅願)
御本尊:十一面観世音菩薩
☎:0898-72-2210
駐車場:無料、普通5台くらい
国道11号線沿いにある。


交通機関
JR予讃線伊予小松駅から約100m


真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌:さみだれの あとに出でたる 玉の井は 白坪なるや 一の宮川


道路沿いの小さなお寺、駐車場も5台くらい。納経も8時と書かれていた。納経は後にすることで次の63番 吉祥寺を打つ。農協の横をとおり、お寺専用の駐車場へ200円支払う


山門
山門はありません。
石柱に「一国一宮宝寿寺」と刻まれていた。


本堂
訪れた時旧本堂には虎柵があり中には入れませんでした。


新本堂

納経所旧本堂左手にありました。


大師堂 


宝寿寺は、天平年間(729~749年)聖武天皇(在位724~749年)が諸国に一宮を設け
たとき、伊予の一の宮神社の別当寺とて、中山川の下流の白坪に創建されました。
天皇は金光明最勝王経を奉納し、名僧・道慈を任じて講読させたと伝えられています。
当時は寺名を金剛宝寺と称していました。後に弘法大師が留錫中に光明皇后の姿をかたちどった十一面観世音菩薩を刻んで本尊として安置し、寺号を宝寿寺と改められました。


 弘法大師は、難産で苦しんでいた国司・越智公の夫人に境内の玉ノ井の水を加持して与えました。
夫人は立派な男児を出産し、「さみだれのあとに出でたる玉の井は 白坪なるや一の宮かは」の御詠歌を献納したといわれています。
それ以降、この十一面観世音菩薩は、「安産の観音様」として人々の信仰を集めることになりました。


その後、宝寿寺はたびたび中山川の氾濫にあったので、天養2年(1145年)に堂宇を大修理しました。
その時の年号をとって山号を天養山にしました。


ここは、伊予三島水軍の菩提寺であった所です


私たちがお参りしたときはまだ脱会していませんでしたが、このお寺は一時期四国八十八カ所霊場会から脱会し、四国八十八ヶ所の第62番札所が「礼拝所」と「宝寿寺」の2ヶ所あるという変な状況が生まれてしまいました。
2019年12月1日より四国八十八ヶ所霊場会に再加入しております。
色々あるのですね。

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次は吉祥寺
宝寿寺→1.4km→63番:吉祥寺

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