四国八十八ケ所 車でお遍路の記録④/ 第10番 切幡寺 ・第11番 藤井寺 ・第12番 焼山寺
2020年1月掲載
2021年5月19日 記事修正・写真追加
10番 得度山 灌頂院 切幡寺
第1番札所から27㎞
住所:徳島県阿波市市場町切幡字観音129番地
宗派:高野山真言宗
創建:伝:弘仁年間(810~824)
御本尊:千手観世音菩薩
真言:おん ばざらたらま きりく
御詠歌:欲心を ただ一筋に 切幡寺 後の世までの 障りとぞなる
☎:0883-36-3010
駐車場:あり

ここから上るのが本道

先ほどの山門から来ますとここに出ます。






大塔:徳川家康の勧めにより豊臣秀頼が父・秀吉の菩提を弔うため慶長12年(1607年)大坂住吉大社の神宮寺に建立した。明治初年の廃仏毀釈により廃寺となったため明治6年(1874年)に移築された(重要文化財)。国内の二重塔では、初層も二層も方形という形式で現存しているものは当塔のみである。







この日一番の難所、緊張したのは切幡寺までの道、仁王門(まだ新しい)右側を通過し
そのまま直進し石段左手の坂道をsレンジに切り替え山道を登る、エンジンをふかさないとあがれない。途中180度近いカーブがある。山上に駐車場(6台あまり)車を止めお寺専用の駐車場の左手より階段と坂道をほんの少し登るとお寺の境内へ出る。通常の参道なら石段333段を登ることとなる。「助かった。」石段上から下みると他のお遍路さんが手すりにすがるようにあえいで登ってくるのが見えた。
下山するとき180度のカーブでジャンボタクシー1台 普通車2台と出会う、離合に2分ほどかかる。左側は急勾配の崖、脱輪しないか緊張する。
切幡の名のいわれは機織りの娘が傷んだ弘法大師の衣を織っていた布を惜しげもなく切り取り渡した。その娘の願いを聞き、亡き母のため一夜で千手観音菩薩を刻み娘に灌頂(かんじょう)を授けると、娘は観音菩薩の姿に変わったと言われています。本尊のほか機織り娘の即身成仏となった観音様ま祀られています。
また、六地蔵のならぶ手水所を過ぎると33段の女厄除坂、42段の男厄坂が続く。
一段ずつ歳の数だけ賽銭を置き、厄除け祈願していく。階段横には多くの賽銭がおいてあった。私たちも、一段毎にお賽銭を置いて上がった。


11番 金剛山 一乗院 藤井寺 ふじいてら・・・ここのみ“てらと呼ぶ”
第1番札所から38.3㎞
藤井寺(ふじいでら)
住所:徳島県吉野川市鴨島町飯尾1525番地
宗派:臨済宗妙心寺派
創建:伝:弘仁6年(815)
開基:伝:空海(弘法大師)
御本尊:薬師如来(伝:弘法大師作)
駐車場:寺の駐車場ありません、門前に民間有料駐車場
真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:色も香も 無比中道の 藤井寺 真如の波の たたぬ日もなし
細い道を通ると駐車場(お寺とは関係ないのかな、民間の駐車場がある。200円支払
う)小川を渡り少し歩くとお寺。藤棚がきれいだとのことだが、西国33の大坂の藤井寺と比べ規模が小さく貧弱と思った、もちろん季節的に花は付けていない。
弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がこの地で自らと衆生の厄を祓い、薬師如来像を刻んで堂宇を建立、山へ2町入ったところの八畳岩に金剛不壊といわれる護摩壇を築き一七日(7日間)の修法を行ったのが開創であると伝えられている。このとき空海が堂宇の前に藤を植えたことから藤井寺と号したといわれています。
藤の古木:大師が悪疫退散の祈願のあとにお手植えしたと伝えられ、4月下旬から5月上旬にかけ五色の藤が咲きほこる。
遍路ころがし:次の12番札所までは細く嶮しい山道で約12.9km。男8時間、女9時間かかるといわれる遍路の難所。
同じ名前の葛井寺が大阪にあります。















龍の天井画、鐘楼門がある。藤井寺の太子堂の左奥から焼山寺への遍路道の標識があった。石段が少しありその奥は何となくうっそうとした山道、歩き遍路の方はここから山越えをすることになる。6時間はかかるらしい。自分たちだったら8時間から9時間は必要と思う。遍路ころがしで有名だそうな。
自分たちは車で移動するので、この日は予定より早くついた。12番までいけそうな時間帯であったが計画通り明日にする、宿についたらまだ午後3時であった。
鴨島駅近くの「さくら旅館」に泊まる。
早速、金剛杖の先を洗い清め荷物と共に部屋へ行く。お遍路用品をハンガーにかけ、菅笠、金剛杖は床の間に、そしてゴロりと横になる「あー疲れた」机の上にはおまんじゅうと御茶、それをいただいて畳の上に再度ゴロと横になる。しばらくすると宿の人が「お風呂をどうぞ」早速風呂へ、小さな一般の家庭用の風呂であった。それでも疲れは十分とれた。
部屋に戻り妻に風呂の交代を告げる。
ここで韓国から来られたお遍路の方と出会う。公共交通機関を利用した歩き遍路。明日焼山寺へ行くとのことおそらく夕方になってしまうであろう。
ここの宿に宿泊しているのは3組のみであった。午後10時頃睡眠薬を飲み寝るが、熟睡はできなかった。朝6時30分食事をして出立する。
ここの先を歩んでいくと次の札所焼山寺になります。


12番 摩廬山 正寿院 焼山寺
第1番札所から70.4㎞
12焼山寺(しょうさんじ)
住所:徳島県名西郡神山町下分字中318番地
宗派:高野山真言宗
創建:伝:弘仁6年(815)
開基:開山
伝:役行者小角、開基:空海(弘法大師)
御本尊:虚空蔵菩薩
☎:088-677-0112
駐車場:有料(志納金制)
宿坊あり
真言:のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんあり きゃまり ぼり そわか
御詠歌:後の世を 思へば恭敬 焼山寺 死出や三途の 難所ありとも
寺伝によれば大宝年間(701-704年)、役小角(役行者)が開山し庵を結び蔵王権現を祀った。のちに空海(弘法大師)は、神通力を持ち火を吐いて村人を襲う大蛇がこの山に棲んでいることを聞き退治に向かった。大蛇は全山に火を放って妨害したので摩盧(水輪)の印を結びながら進むと、山頂の岩窟に閉じこもって抵抗した。そこで虚空蔵菩薩や三面大黒天に祈願すると、とうとう大蛇を岩窟の中に封じ込めることができたため、そのお礼に虚空蔵菩薩を刻んで本尊とし一寺を建立されました。
焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い山岳札所。剣山や白髪山など四国山脈の山々がひろがる眺望はすばらしいです。
境内の杉の巨木は樹齢数百年といわれ徳島県の天然記念物に指定されています。

駐車場から徒歩で行くと、参道入り口に大きな布袋像があります
参道は約300m

参道の仏像群 20数体あります
















そして階段が待ち受けています

奥に杉並木があります。




本堂
大師堂
本堂右手の宝珠がある建物
阿波の国で1番の難所とのこと。冬期は積雪があるらしい。
朝から焼山寺へ向かう。12番の焼山寺は標高600mにあり八十八寺中2番目に高い。
計画では広い道路をと思っていたが、ナビは最短距離の県道31号(旧道)で狭く離合もできない狭隘な道路であった。(梨の木峠越え)幸いであったのは対向車が無かったこと。
山上の駐車場の脇道から進入した。広い駐車場であった。参道の入り口にまだ新しい布袋の石仏があった。ここで記念撮影した。そこから徒歩で境内へ、途中にいくつもの石仏(信者が寄進したもの)がある。山門をくぐると杉の大木が両側にある参道に変わる。
お参りの後、次の13番へ向かう、下山するときは広い道(県道20号)を利用、マイクロバスが駐車場まで通行できる。


奥の院
蔵王権現堂、本堂から1.1km
ここには行きませんでした。