滋賀県 鏡神社 源義経 元服の地
鏡神社 源義経 元服の地
住所:滋賀県蒲生郡竜王町鏡1289
☎:0748-58-0959
祭神:鏡神社の御祭神天日槍尊(あめのひぼこのみこと)
わが国に渡来文化や技術を育み広めた祖神(おやがみ)
天津彦根命(あまつひこねのみこと)
国造りの大神にて産業開発や農耕商業繁栄の祖神(おやがみ)
天目一箇神(あめのまひとつのかみ)
天津彦根命の御子にて金属加工や鍛冶など匠の神
の三柱が本殿に祭られている。(古事記、日本書紀に記される神々にて
の三柱が本殿に祭られている。(古事記、日本書紀に記される神々にて
主祭神の納める日鏡から地名を「鏡」とたたえ閉めた
駐車場:竜王道の駅 竜王かがみの里
観光バスが多く駐車
神社にも5台程度駐車可能
竜王I.Cより10分 駐車場は道の駅竜王かがみの里
R琵琶湖線 近江八幡駅 バスで15分ほど 鏡口下車
国重要文化財国道8号線沿いにある鏡神社












烏帽子かけの松
鏡神社の参道には義経が参拝したときに松の枝に鳥帽子をかけたとされる鳥帽子掛けの松があります。






本殿
鏡神社の本殿は、南北朝時代(約650 年前)の建物様式
三間社流造 こけら葺き 間口三間 奥行二間(重要文化財)

拝殿
入母屋造 間口三間 奥行三間

本殿に向かう左側には、「祓戸神」がありますが、これがまた素晴らしい





南北朝時代の建築で「日本書紀」にも記されている朝鮮半島の新羅から製陶技術(渡来文化)を伝えた天日槍を祀る神社です。
朝鮮半島の新羅国の王子である天日槍がこの鏡地域周辺にやって来て、半島で活躍していた須恵器の製作技術者であるその従人を鏡山周辺に住まわせ、製陶業=「須恵器」つくりをおこし発展させたことから、鏡の里(ムラ)の人たちが、金属・製陶業の創始者として天日槍をたたえ、この社に祭神として祀ったことが伝えられていている。
社殿奉建は寛平年間に火災にあうと伝えあり現在の本殿(重文)は室町時代に再建されたものとされている。皇室との関係は大正6年11月特別大演習統監の天皇が当神社境内宮山に行幸その際親拝される。宮山を御幸山と称し記念公園とする。
境内社(摂社・末社)
若王子神社 雨宮神社 守山神社 大島神社 境外社 八幡神社
源義経(みなもとのよしつね)元服のおり参拝承安4年(1174)3月3日、源氏の御曹司(おんぞうし)、牛若丸は京の鞍馬で遮那王(しゃなおう)と称してひそかに源氏の再興を志していました。
鞍馬をこっそり抜け出した牛若丸は兄頼朝を尋ねんと、奥州の金売り吉次と下総の深栖(ふかす)の三郎光重が子、陵助頼重(みささぎのすけよりしげ)を同伴して東下りの途中近江の「鏡の宿」に入り、時の長者「沢弥傳(さわやでん)」の屋敷に泊まります。
平家の追っ手が探しているのを聞き、稚児(ちご)姿で見つかりやすいのを避けるために元服することを決心します。
そこで地元「鏡」の烏帽子屋五郎大夫(ごろうたゆう)に源氏の左折れの烏帽子(えぼし)を作らせ、鏡池の石清水を用いて前髪を落とし元服をしたと伝えられています。
しかし烏帽子親も無く(通常は二人の烏帽子親が必要)考えたところ源氏の祖先は八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)、新羅明神(しらぎみょうじん)の前で元服をしたと聞く。義経の四代前の八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)は、京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の神前で元服し、その弟の新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)は、新羅大明神(しらぎだいみょうじん)の神前で元服式をあげたと言われます。
ならば、牛若もそれにならい鞍馬の毘沙門天(びしゃもんてん)と、氏神の八幡神(はちまんじん)を烏帽子親にしようと思い、太刀(たち)を毘沙門天、脇差(わきざし)を八幡神に見立て、自ら元服式を行ったのです。
時に牛若丸は16歳、自らが鳥帽子親となって名を源九郎義経(みなもとのくろうよしつね)と名乗り、源氏の祖である新羅大明神(しらぎだいみょうじん)と同じ天日槍(あめのひぼこ)を祀る鏡神社へ参拝し、源氏の再興と武運長久を祈願したのでした。(源氏は新羅系、平家は百済系と言われています)
鏡神社の御利益(ごりやく)
三柱の神々は、町おこし、国つくりなど行政文化の発展、諸産業の技術向上、農耕商工業繁盛など、諸々の生業(なりわい)繁栄にご利益があるとされる。
また、平安時代の武将 源義経が当地で元服して源氏の再興と武運長久を祈願したことから武術学業の向上、開運成就、家系繁栄にも御利益がある。