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奈良県  信貴山 朝護孫子寺 虎の寺

信貴山 朝護孫子寺


住所:奈良県生駒郡平群町
電話:0745-72-2277
駐車場:あります
近鉄 信貴山下駅→奈良交通バス 信貴大橋下車徒歩約5分
とても広大なところです。


今から1400年程前、聖徳太子が物部守屋の討伐の際にこの山を訪れて戦勝の祈願をすると、天空に毘沙門天王が現れ、必勝の秘法を授かった。 その後、戦に見事勝利した太子は、自ら天王のお姿を彫刻し伽藍を建て、信ずべき貴ぶべき山として『信貴山』と名付けまた、ちょうど毘沙門天が現れたのが寅の年、寅の日、寅の刻であったため、寅が信仰されるようになった。この山には虎の張り子、石像があります(金網の中に)。


さらに醍醐天皇の時代(910年)、天皇の病気回復を命蓮上人(みょうれんしょうにん)が毘沙門天王に祈願すると、 たちまち全快されたことにちなみ、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として『朝護孫子寺』と呼ばれるようになったとのこと。庶民信仰の寺として人々からは『信貴山寺』と親しまれています。

本堂
この辺りは、信長に反旗を翻した梟雄・松永弾正の山城がありそのため、松永弾正は二度も織田信長を裏切り、二度目はさすがに織田信長も切れましたね。戦国3大梟雄(きょうゆう)の一人に数えられる松永久秀。織田信長に対して恭順と反発を繰り返しましたが、その度に信長は久秀を許してきました。


しかし、信長への二度目の謀反「信貴山城の戦い」において久秀は降伏を受け入れず、信長が欲した名物「平蜘蛛」もろとも自害しています。そのためこの地を攻略するため焼き討ちをされた。焼失後、文禄年中(1592)に豊臣秀吉により再建されたと伝えられている。その後昭和26年に火災で全焼、33年に新たに建造された。舞台からは大和平野が一望することができる。


本堂には、ご本尊の毘沙門天王像を中心に、右に吉祥天像、左に善膩師童子像が安置されている。父・母・子の絆を大切に、家族円満を願う象徴とされているのでご家族で行かれる方も多いです。またハイカーもたくさんいました。
毘沙門天王は、七福神の中でも商売繁盛、金運如意、開運招福、心願成就の徳を最も厚く授けてくださる福の神様です。右手に如意宝珠の棒、左手に宝塔を持ち、心を強く持って何事も我慢強く行えば福徳を授けるという姿を表しています。私たちも不幸を嘆くのではなく我慢強く生きていきましょう。


戒壇巡り
心願成就を祈る修行の道場で、本堂真下の暗闇の回廊です。
暗闇の中を手さぐりで進むと、ほのかな灯明の場所があり、千手観音や阿弥陀如来など八体の仏像がお祀りしてあります。 


さらに進むと大きな鉄の錠前が掛っていて、この錠前に触れると、約800年前、覚鑁(かくばん)上人が、唯一当山に納めたという如意宝珠に触れたと同じ功徳が与えられると言い伝えられ、一願成就のご利益が授かります。
現在は新型コロナ対策のため閉鎖されているそうです。


『融通殿』には、如意宝珠(如意融通尊)をお祀りしています。「融通がつく」「融通がきく」というのはここから由来しているそうです。ここ勉強になりますね
左脇侍には厄難消除の不動明王、右脇侍には立身出世の弘法大師がお祀りされています。

留瓦 金色の鳩 珍しいので

ここの右に虎がいます
千手院
山内では最古のお寺で、住職の住坊とされてきました。
『護摩堂』は命蓮上人が1000年前に開壇され、以来、毎日護摩が焚かれ福徳開運の祈願が行われています。


院内の『銭亀堂』では、 “銭亀さん”の愛称で親しまれる金運を呼ぶ神、銭亀善神をお祀されています。商売繁昌や金運招福を祈願される方が絶えないそうです。

金色の虎 銀色の虎


作者不明ですが立派なものです。

虎が逃げ出さないように?

霊宝館  ここには多くの絵巻物がありました。入館料は別です。


開山堂
聖徳太子、弘法大師、命蓮上人、歓算上人、四国八十八ヶ所ご本尊様をお祀りしています。開山堂の黄色の厄除けローソクは、学業成就、商売繁盛、開運招福のご利益があるといわれています。


玉蔵院 宿坊
鎌倉時代、覚鑁(かくばん)上人がこの山で毘沙門天王から如意宝珠を与えられたことから『玉蔵院』と呼ばれるようになりました。院内には“融通さん”と呼ばれる如意融通尊をお祀りした『融通堂』、護摩祈祷が行われる『浴油堂』高さ14.5mもの『日本一大地蔵』のほか、約250人まで宿泊できる『富貴閣』や茶室『古厘庵』があります。

展望台よりの眺望


かやの大木

聖徳太子像


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