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奈良県 山野辺の道 石上神社

2020年3月13日公開した記事ですが
2021年9月24日一部文章の修正および加筆しリライトしました。
石上神社  いそのかみじんじゃ
住所:奈良県天理市布留町(ふるちょう)384
祭神:布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)
   布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)


創建:(伝)崇神天皇7年
駐車場:あり 4箇所
電話:0743(62)0900
国道51号線に隣接


名阪国道 「天理東インター」 から 約6分
西名阪自動車道 「天理インター」 から 約15分
  私はこのコースですね。


鳥居
参道の入口に建つ大鳥居、高さ7メートル、最上部の笠木の長さ10メートル、柱の直径は76センチとなっています。
現在の大鳥居は、昭和3年の昭和天皇の御大典を記念して建立されました。台湾の檜(ひのき)が用いられ、明神造りとなっています。
平成23年3月に腐朽、耐久性につき調査の結果、早急に修理が必要との提言を受け、解体し、柱や貫などを取替えて、平成23年9月に再建立されました。
両側の柱、貫は日本の檜では使える木が入手困難となり、カナダの檜が用いられました。


早速鶏のお出迎え
神の鳥


回廊
拝殿前の斎庭を取り囲むように建てられています。連子窓がついており、縁が黄色に彩色され、四角の窓枠は緑色となり、縦に棒(連子子―れんじこ)が付けられています。
現在の廻廊は、昭和7年に建てられました。



棟木に記されている墨書によると、鎌倉時代末期、第96代後醍醐(ごだいご)天皇の文保2年(1318)に建立されたことが知られ、重要文化財に指定されています。
往古は鐘楼門として上層に鐘を吊るしていましたが、明治初年の「神仏分離令」により取り外され売却されました。


楼門の扁額(へんがく)は明治政府の最高指導者「山県有朋」が筆をとったものといわれます。


回廊
拝殿前の斎庭を取り囲むように建てられています。連子窓がついており、縁が黄色に彩色され、四角の窓枠は緑色となり、縦に棒(連子子―れんじこ)が付けられています。
現在の廻廊は、昭和7年に建てられました。

お守りはやはり、御神剱守りが有名  この神社で発掘された劔です

回廊に展示されている明治初期の消防ポンプ

回廊に展示されていた、鎧櫃(びつ) 
説明書きによると、総高90.5・縦102.3・横118.0 南北朝時代(応安二年(1369年)
松の素材で大型の鉄錠前がかかっている。
蓋裏には「大和の国山野辺郡)、布留大明神、御櫃唐御櫃成、応安二年己酉、一二月廿五
日の墨書きがある。これは南北朝時代の鎧櫃であり大変貴重である

国宝の劔の写真

楼門の内側

本殿に吊るされた多くの釣り灯篭

拝殿(国宝)
神宮への御崇敬が厚かった第72代白河天皇が、当神宮の鎮魂祭(ちんこんさい)のために、永保元年(1081)に宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えられています。
建築様式の区分では鎌倉時代初期の建立と考えられます。いずれにしても拝殿としては現存する最古のものであり、国宝に指定されています。
なお、文明2年修復、貞享元年上葺、享保18年修補、元文5年上葺、寛政10年修復、安政6年屋根替、計6枚の棟札が現存しています。

樹木の上のも鶏がいました。
神の使い
鶏が多く放し飼いにされています。
長鳴鶏(ながなきどり)の一種の東天紅(とうてんこう:高知県産・天然記念物)、烏骨鶏(うこっけい:天然記念物)、採卵用種のレグホン・ミノルカなどがいます。
ニワトリはすでに『古事記』『日本書紀』に登場し、暁に時を告げる鳥として、神聖視され、神様のお使いともされています。



この神社はゆっくりと時間が過ぎてゆくような感じです。見所も多いです。
神社のいたるところを鶏が闊歩する日本最古の神宮
しかし小高いところにある国宝の拝殿の周りには鶏はいなかった。


神社は日本最古の書物である『古事記』をひも解くと、固有の神社名として名前が出てきます。
この神社の鶏は50数年前に奉納されたことをきっかけに、石上神宮の境内にはたくさんの鶏が飼育されています。鶏は神様のお使いとされていることもあり静けさの中から鶏の鳴き声が聞こえます。この神社には野良猫、野良犬は一切いません。たまに犬を抱いた参拝者はいますが。


ここで、清々しい気持となるのは私だけでしょうか。気持ちがパワーアップします。


石上神宮には、古くから地中深くに神剣「布都御魂」が埋まっているといわれてきました
が発掘はされず、やっと許可がおり発掘調査を開始したところ実際に多くの宝物とともに
「布都御魂」が発見されたことから、神剣を奉るために本殿が建立されました。


出雲建雄神社
楼門前から丘を見ると、小高い丘の上に神社があります。うっかりすると見落とします。
この神社は、素戔嗚尊がヤマタノオロチを退治した時に尾から出てきた「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)。その荒魂である「出雲建雄神」(いずもたけおのかみ)をお祭りしているのが、出雲建雄神社です。
この神社が建立されたのは、布留邑智(ふるのおち)という神主さんが受けた神託に由来します。この神主さん、神剣が光り輝く夢を見た翌朝、現地に足を運んでみると、神様があらわれ「この地で人々を守る」と伝えたということです。
そんな経緯でできた「出雲建雄神社」でありますが、江戸時代には、出雲建雄神は布都斯魂大神の「子ども」に当たるとして、「若宮(わかみや)」と呼ばれていたそうです。

摂社拝殿(国宝)
出雲建雄社拝殿(いずもたておじんじゃはいでん)
ここは立ち入ることできません。
元来は内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)の鎮守の住吉社の拝殿でしたが、大正3年に現在地に移築されました。


内山永久寺は鳥羽(とば)天皇の永久年間(1113~18)に創建された大寺院でしたが、神仏分離令により明治9年に廃絶しました。その後も鎮守社の住吉社は残されましたが、その住吉社の本殿も明治23年に放火によって焼失し、拝殿だけが荒廃したまま残されていましたので、当神宮摂社の出雲建雄神社の拝殿として移築しました。従ってこの建物は内山永久寺の建物の遺構として貴重なもので、国宝に指定されています。


建立年代については、はじめは保延3(1137)年に建立され、その後13・14世紀に2回の改築により現在の構造・形式になったと考えられています。
とても立派な拝殿で真ん中に通路があるのが珍しいです。どうしてこの様な造りなっているのかわかりません。




出雲建雄神社から見た楼門


天神社・七座社
天神社(てんじんじゃ)と七座社(ななざしゃ)には、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)という世界をつくった神様をはじめとする「鎮魂八神」(たましずめやはしらのかみ)がお祭りされています。
拝殿の向かいの少し高い位置にあり、楼門を近い位置から見ることができるので、とてもきれいに見ることができます。
また、不浄をただす「大直日神」(おおなおひのかみ)という神様も合祀されています。
天神社と七座社は、いにしえから鎮座していたと伝えられ、11月22日の「鎮魂祭」に際し、天神社と七座社の例祭が先に行われています。

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