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福井県  小浜市 若狭を巡る 羽賀寺

羽賀寺
住所:小浜市羽賀83-5
山号:鳳聚山(本浄山)
宗派:真言宗
開山:行基
本尊:十一面観音立像


電話:0770-52-4502
駐車場:30台
小浜駅からタクシーで10分4.50km
小浜ICから車で5分3.50km

左右には千手観音菩薩、毘沙門天が安置されていました。
厨子の中に安置 平安時代、高さ146.4cm、檜材木造乾漆仕上げ、彩色、重要文化財





鐘は祈願をこめ三回衝きます。


製作年度不明


沢山の五輪塔が在るが誰の物なのか不明

本堂は室町時代中期の密教寺院本堂建築の遺構である。重要文化財
現在の羽賀寺本堂は安東氏が文安4年(1447)に再建した現存する唯一の遺構で木造平屋建て、入母屋、桧皮葺、桁行5間(13.74m)、梁間6間(14.63m)、軒高13.21m、外壁は真壁造板張りです。

元正天皇の勅願寺。元正天皇の御影とされる十一面観音菩薩立像の他、多くの重要文化財があります。
数多い諸仏のなかでもひときわ美しいのが、小浜・羽賀寺の木造十一面観音菩薩立像(像高146.4cm、平安時代初期の作、重要文化財)です。女帝元正天皇をモデルにしたといわれています。羽賀寺は、霊亀2年(716)に行基が勅命により創建したと伝えられています。
伝承によるとこの境内には1羽の鳳凰が舞い降り羽根を落としたという故事から「羽賀寺」の寺号が与えられました。羽賀寺は朝廷や為政者からも庇護され平安時代の天暦元年(947)に洪水で大破すると浄蔵(雲居寺の僧)が再興、鎌倉時代初期の建久年間(1190~1199年)には源頼朝が三重塔を寄進、さらに元弘の乱(1331~1333年)の兵火で焼失すると当時の若狭守護職である細川氏清が延文4年(1359)に再建しています。


応永5年(1398)に羽賀寺が焼失すると後花園天皇は永享8年(1436)に当時、京役(荘園の租税を京の領主の元に届ける役)の任にあたり津軽6郡を支配した安東盛季、康季父子に再建の勅命を下し11年の歳月をかけ文安4年(1447)に落成、その功により安東氏は「日之本将軍」の称号を授けています。
は羽賀寺を諸祈願や吉凶の占いなどを行わせています。



千手観音立像、平安時代、檜材一木割矧造、彫眼、素地、高さ135.4cm、重要文化財
毘沙門天立像、平安時代後期、檜材一木造、彩色、高さ159.1cm


地蔵菩薩坐像、平安時代、木造、高さ135.7cm、県指定文化財


秋田実季坐像

安部愛季坐像、江戸時代、木造、高さ61.5cm、県指定文化財

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