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弁慶の生誕地 出雲・松江

今回私たちが立ち寄った所に弁慶生誕の幟があった。え・・・・。


義経の幕僚だったに過ぎないが、後世にはなかなかの人気もので、五条の橋の七ツ道具が、端午の節句の武者人形となり、国定教科書の挿画となり、安宅の関の勧進帳が、歌舞伎の十八番となり長唄の秘曲となり、衣川の立往生は武人の典型と伝えられる。同僚で忠烈をうたわるる佐藤兄弟をはじめ、戦国の武士の誰れよりも、弁慶の名はよく知られて居り、三井寺の鐘など、弁慶の遺蹟というものも多い。


しかし、実在しないという説
弁慶の出生地もいろいろあります。
出雲、紀州田辺、そのどちらでもない、各地に説がある。


出雲に弁慶出生の伝説地あることは、京の豪商で遊歴を事とし、生涯を風雅に過して寛政に没した百井塘雨が『笈挨随筆』にかなり詳しく書いている。同地方では今も盛んに主張されている。


出雲説の要点は斯様である。弁慶は延暦寺の荘園であった出雲国長海荘(現八束郡本庄村字長見)の生れである。弁慶は幼にして長海荘にある延暦寺末の枕木山花蔵寺に入り次いで鰐淵寺に移って修業し、義経に従い衣川で戦死した。長海には弁慶屋敷跡と弁慶島があり、鰐淵寺には遺物もある。弁慶は熊野の生れというが、その熊野は紀州でなく出雲の熊野(八束郡熊野村)である。紀州の熊野神社は崇神天皇の御宇に出雲から勧請したのであるが、歴代の御崇敬が篤く終に全国屈指の霊場となり、本家の出雲の熊野は反って忘れられ、弁慶が熊野生れというのも、出雲の熊野と気付かず、紀州の熊野と早合点したのだそうである。
しかし、全国に三十何ヶ所とかあるということで謎だらけ。


今回私たちが立ち寄った所に弁慶生誕の幟があった。え・・・・。
「道の駅 本庄」は、島根県松江市の国道431号沿いの道の駅です。 目の前には中海が広がり、大山まで望めます。
本庄地区は武蔵坊弁慶が生まれ育った地として、弁慶にまつわる多くの伝説が残っており、 「弁慶生誕の地 本庄」として地域活性化を進めているようです。

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