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島根県 松江城

松江城
住所:島根県松江市殿町1-5
朝早くいったので入門まで待つ
輪郭連郭複合式平山城
築城:堀尾忠氏
築城年:1611年(慶長16年)
国宝(天守)、国の史跡
拝観料:550円 共通券920円これを購入(松江城天守閣、小泉八雲記念館、武家屋敷の三館セット)
駐車場:500円

平山城で江戸時代には松江藩の藩庁として、出雲地方の政治経済の中心となったが、明治時代初頭に廃城令によって存城処分(陸軍省所管)となり、天守以外の建物はすべて払い下げられ撤去された。
城跡は現在、松江城山公園として利用され、また、江戸時代初期建造の天守を有する城跡であり、天守は山陰地方の現存例としては唯一である。
天守からは宍道湖を眺望できる。江戸時代まで遡り城郭建築の雛型が残っているのは8城あるが松江城はその1つである。また国宝天守では唯一、江戸期からの雛型が残っている。。天守内部には松江市街のミニチュア模型が展示されている。


1600年(慶長5年) 関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)が、24万石を得て月山富田城に入城し松江藩が成立。月山富田城は中世山城であり近世城下町形成には不利であったので、末次城跡を近世城郭の候補とした。
1607年(慶長12年) 末次城のあった亀田山に築城を開始。
1611年(慶長16年) 冬、松江城落成。(堀尾吉晴はこの年6月に完成目前で急死している。)
松江城資料より

この柱に板を置き、弓矢で応戦できるようにしてある


天守
天守は外観4重、内部5階、地下1階で、天守の南に地下1階を持つ平屋の附櫓が付属する。形式上は望楼型天守に分類され、二重の櫓の上に二重(3階建て)の望楼を載せた形になっている。二重目と四重目は東西棟の入母屋造で、二重目の南北面に入母屋破風の出窓をつけている。附櫓も入母屋造である。壁面は初重・二重目は黒塗の下見板張り、三・四重目と附櫓は上部を漆喰塗、その下を黒塗下見板張りとする。南北の出窓部分の壁は漆喰塗である。屋根はすべて本瓦葺きとする。構造的には、2つの階にまたがる通し柱を多用している点が注目される。建物の中央部には地階と1階、2階と3階、4階と5階をそれぞれつなぐ通し柱があり、側柱など外側部分には1階と2階、3階と4階をつなぐ通し柱がある。


1・2階平面は東西12間に南北10間あり、高さは、本丸地上より約30m(天守台上よりは22.4m)ある。窓は突上窓と火灯窓あり、2階に1階屋根を貫くかたちで開口した石落しが8箇所あることを特徴としている。地下の井戸は城郭建築では唯一の現存例である。最上階は内部に取り込まれた廻縁高欄があり、雨戸を取り付けている。鯱は、木製の銅板張で現存天守の中では最大の高さ約2m。現在の鯱は昭和の修理の際に作り直されたもので、旧鯱は別途保管展示されている。また、石垣は「牛蒡積み」といわれる崩壊しない城石垣特有の技術が使われている。これが珍しいです。


松江城は築城より100年以上経過した江戸時代中期の元文3年(1738年)から寛保3年(1743年)にかけて、大改修が行われた。この大改修の際に天守閣も改装されて、現在の松江城天守閣の姿になったと推測される。作成年月が不明とされていた松江市指定文化財『松江城天守閣雛形』は、この大改修を行うために作られた模型であると考えられる。


人柱伝説
天守台の石垣を築くことができず、何度も崩れ落ちた。人柱がなければ工事は完成しないと、工夫らの間から出た。そこで、盆踊りを開催し、その中で最も美しく、もっとも踊りの上手な少女が生け贄にされた。娘は踊りの最中にさらわれ、事情もわからず埋め殺されたという。石垣は見事にでき上がり城も無事落成したが、城主の父子が急死し改易となった。


人々は娘の無念のたたりであると恐れたため、天守は荒れて放置された。その後、松平氏の入城まで天守からはすすり泣きが聞こえたという城の伝説が残る。また、城が揺れるとの言い伝えで城下では盆踊りをしなかった。(「小泉八雲/人柱にされた娘」など)。


天守台下の北東部石垣が何度も崩落するため困っていたところ、堀尾吉晴の旧友という虚無僧が現れて、崩落部分を掘らせたところ槍の刺さった髑髏が出てきたので虚無僧が祈祷したが、まだ危ういところがあるというと虚無僧は「祈祷では無理だ。」というのである。どうすればいいのかたずねると、「私の息子を仕官させてくれるのであれば、私が人柱になろう。」というので、虚無僧に人柱になってもらい工事を再開させることができたが、堀尾家は普請の途中に2代忠晴で絶え改易となった、というものである。


これには別に、虚無僧の尺八が聞こえてきたので捕まえて人柱にしたところ、尺八の音が聞こえるようになった、という説もある。


全国で2番目に大きい天守
松江城は、全国に現存する12天守の中で、2番目に広く、高さでは3番目、古さでは5番目を誇る、歴史と風格のあるお城です。


ちなみに、天守総床面積は約1,700㎡、天守台を含めた高さは30mほどになります。
松江城:白壁が少なく黒く重厚な感じ、黒い雨覆板で覆われているためだ。しゃちほこは向かって左が雄右が雌、木造銅張という珍しいものとされます。

松江城:中に入る、ここは地階で籠城用生活物資の貯蔵庫、円く見えるのは深さ24mの井戸。太い梁に太い柱、堅固な造り、むき出しの石垣も見えている。

1階から4階の各階の間に設けてある階段は防火防腐のため桐でできています。他の城では見られない特殊なものです。


幅1.6メートルほどの階段で、厚さ約10cmの板が使用されています。また、防火防腐のみならず、敵が攻めてきた時など、いざという時に階段を撤去できるよう軽い素材の桐が使用されているのだとも言われています。

松江城天守を支えてきた135本の寄木柱。その寄木柱の1本にハートの形をしていた


天主からの眺望

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