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京都 南山城  国宝の仏像  蟹満寺

蟹満寺  かにまんじ
住所:京都府木津川市山城町綺田浜6
山号:普門山
宗派:真言宗智山派
本尊:釈迦如来坐像
創建:飛鳥時代  再興1711年 正徳元年
開基:秦和賀
駐車場:あります
この寺に行くときはなるべく車のほうがよろしいかと、バスもありますがコミュニティーバス山城線蟹満時口下車

私が訪れたのは2010年5月22日  この年の4月3日に落慶法要が行われたようです。



蟹萬寺の創建や由緒は詳しく分かっていないようですが、発掘調査によると1300年前の飛鳥時代の創建のようです。
当時は渡来人が多く住み幡織物に携わっていた人が多かったようです。


創建当時のお寺の規模は薬師寺の金堂と同じく大規模な伽藍があったということです。
この寺は、平安時代以降「今昔物語集」に登場する【蟹の恩返し】のお話で知られているのです。
あらすじは
観音様を深く信仰していた村の娘があるとき村人が蟹を沢山とらえて食べようとしていたのを見て蟹を買い求め草むらへ逃がしてやります。また娘の父親が田を耕していると蛇が蛙を呑もうとしています。父親は何とか蛙を助けてやりたいと蛇に向かって「もしお前がその蛙を放してやってくれたら娘の婿にしよう」と言ったのです。すると不思議にも蛇はどこともなく姿を消したのです。突然のこととはいえ大変なことを言ってしまった父は仕事も手につかず家に帰ると、ことの次第を娘に語り不本意を悔いたのです。
案にたがわずその夜、衣冠を着けた紳士が門前に現れ昼間の約束を迫ってきました。
困り果てた父親は嫁入り支度を理由に、三日後に来るようにと男を帰したもののどうすることもできません。ついに約束の日が来ました。
雨戸を固く閉ざして約束を守ろうとしない父親に腹を立てた男は、本性を表し蛇の姿になって荒れ狂います。
娘はひたすらに普門経の普門品を誦え、娘の父母は恐ろしさのあまり身を締めていると、その時、いかにも麗しい温顔の輝く観音様が現れ「決して恐れることなかれ汝らの娘は慈悲の心深く常に善良を行いをなされ、また我を信じて疑わず、我を念ずる観音力はことごとくこの危難を除くべし」と告げ姿を消したのです。
間もなくどうしたことか雨戸を打つ暴音は消え、夜が明けてみると戸外には、ハサミで寸寸に切られた大蛇と無数の蟹の死骸が残されていたのです。
親子は観音様の御守護を感謝し、娘の身代わりとなった、たくさんの蟹と蛇の霊を弔うため御堂を建て観音様を祀りました。
たくさんの蟹が満ち満ち恐ろしい災難から救われた因縁で建てられたから蟹満寺となずけられたのです。また観音経の普門品を読誦していたので普門山と号せられました。

本堂の入り口の額  蟹が蛇を挟んでいます・


これは、観音霊験説話であることからして、創建当時は御本尊は観音菩薩であったようでありますが、現在は白鳳期(飛鳥時代後半)に造られた釈迦如来坐像(国宝)です。
像高は2.40m、重さ約2.2トン金剛性でわりと軽いですね。これは像の厚さが薄く造られているからです。これは土型にいれられて造られたものではないかと思料されます。
同様な時代の像としては飛鳥大仏と興福寺の薬師如来坐像がありますが、特に薬師如来と似ているようです。しかし、この仏像は火災に遭遇しているため損傷も多く(螺髪・白毫がありません(元からなかったのかも分かりません)。火災の時は村人がみんなで担ぎ出したそうです。


あまりはっきり映らなかったのですが親指と人差し指にはありませんが人差し指と
中指、中指と薬指、薬指と小指のそれぞれ第二関節まで網があるのです。

手足指縵網相 (しゅそくしまんもうそう)
この釈迦如来坐像の両手がすごいんですが、指と指の間に水かきがあるんです。普通の仏像もある程度はありますが、ここのは特別大きいのです。指と指の間に網が張ったようになっています。これは私たち生きとし生けるものを全て悟りの世界へお救いくださるようになっているのですね。
私たちも年を重ねると、指と指の間に網があることに気が付きます。最も網がないと指はうまく動かないですが。それがとくべつに大きいんですね。だから年老いたら知恵もあり皆様もお救いするかも知れませんよ。お年寄りを大事にしてくださいね。

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