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松平家累代の菩提寺  大樹寺 歴代将軍の位牌 身長に併せて造られた

                         追加記事2020.7.5 
大樹寺
住所:愛知県岡崎市鴨田町広元5-1
山号:成道山
宗派:浄土宗
本尊:一光千体阿弥陀如来、

   如意輪観世音菩薩
創建:天文4年(1535年)
開基:松平親忠

山門を入り、振り返ると岡崎城が眺望でき、奥の総門を通して、今でも大樹寺岡崎城を望む、直線上にマンション等の高層建築物を建てることはできない条例がある。
それほど岡崎の人々にとって徳川家康を大事にしている。

「大樹」とは征夷大将軍の唐名であり、松平氏から将軍が誕生することを祈願した。


山門・扁額
寛永18年(1641年)三代将軍徳川家光により建立。
楼上には後奈良天皇筆による「大樹寺」の勅願がかかっている。重要文化財。
楼上には釈迦三尊十六羅漢の像を安置。



位牌堂
家康の死後は、遺言に従い、位牌が収められた。以降、歴代徳川将軍の等身大位牌が大樹寺に収められた歴代将軍(大樹公)の位牌が安置されている。
家康の像が正面にある。
※この大樹寺の位牌の高さは、将軍の身長に合わせて作られていると言われています。
 歴代将軍の法名と位牌の高さを列記すると次のようです。
 これを見ると、5代綱吉の位牌は124センチであるのが、異常に低いと思います。
 7代家継は、8歳で死んでいるので、135センチというは当然だと思いますが、綱吉
 は家継よりも低くなっています。
 見た目にも、明らかに、綱吉の位牌は他の位牌と比較して低く見えました。
 位牌の高さが、身長に合わせたものであるという説に従えば、綱吉自身の身長が低かっ
 たということになります。


初代家康 前大相国一品徳蓮社崇誉道和大居士  位牌の高さ 159センチ
 2代秀忠 台徳院殿一品大相国公     位牌の高さ 160センチ
 3代家光 大猷院殿贈正一位大相国公  位牌の高さ 157センチ
 4代家綱 厳有院殿贈正一位大相国公  位牌の高さ 158センチ
 5代綱吉 常憲院殿贈正一位大相国公  位牌の高さ 124センチ
 6代家宣 文昭院殿贈正一位大相国公  位牌の高さ 156センチ
 7代家継 有章院殿贈正一位大相国公  位牌の高さ 135センチ
 8代吉宗 有徳院殿贈正一位大相国公  位牌の高さ 155.5センチ
 9代家重 惇信院殿贈正一位大相国公  位牌の高さ 151.4センチ
10代家治 浚明院殿贈正一位大相国公  位牌の高さ 153.5ンチ
11代家斉 文恭院殿贈正一位大相国公  位牌の高さ 156.6センチ
12代家慶 慎徳院殿贈正一位大相国公  位牌の高さ 153.5センチ
13代家定 温恭院殿贈正一位大相国公  位牌の高さ 149センチ
14代家茂 昭徳院殿贈正一位大相国公  位牌の高さ 151.6センチ


15代将軍慶喜の位牌は大樹寺にはありません。これは将軍職を引いた後も存命であったことと、慶喜は華族の最高位である「公爵」を与えてくれた明治天皇に感謝の意を表すため自分の葬儀を仏式でなく神式でおこなうよう遺言を残したことにより、一般皇族と同じような円墳が建てられました。


江戸幕府最後の将軍である第15代徳川慶喜の墓所は,谷中墓地と称される区域の寛永寺墓地にあります。 円墳状の墓で、慶喜とその妻が並んでいます。



多宝塔  国の重要文化財
一層方形二層円形の多宝塔が建立された。
松平七代清康により天文4年(1535年)に建立
一層は方形2層は円形で格調高い多宝塔
足利末期でありこの時期の多宝塔が一番美しい。
石造りの囲いがありそれは大切にされています。


鐘楼
寛永18年(1641年)徳川家光の建立
家光は非常に家康を慕っていたのですね、家康のかかわるところには膨大な費用をかけていることがうかがえる。
大鐘は九代将軍家重が造った。


 家康の旗印であった。寺内にありました。


  庭園からの鐘楼


位牌堂は撮影できませんでした。

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