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長野県 寝覚の床 浦島太郎の伝説の地

2020年7月30日公開した記事ですが
2020年9月26日記事修正しリライトしました。
寝覚の床
住所:長野県  木曽郡上松町寝覚


国道19号線沿いに有料駐車場(500円、時間指定なし)が、少し南側の登坂車線下には、無料の町営駐車場があります。
【時間の目安】 中央道伊那インター・中津川インターから、それぞれ60分
上松町周辺は、花崗岩地帯。その地形を木曽川の流れが削り、姿を現したのが寝覚の床です。


花崗岩特有の割れ方が、大きな箱を並べたような不思議な造形をもたらしています。
明治以降は水力発電や用水の引水で木曽川の水面が低下し、岩の巨大さがよりき立っています。


1923年に国の名勝に指定され、現在は県立公園特別地域となっています。
水の色はエメラルドグリーンでとても景色もよい。


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浦島堂
弁財天像を残したといわれています




浦島太郎の伝説の地
浦島太郎の伝説は、沖縄県から福島県まで全国各地に残っています。 その内容も、出自に関わるものから墓地まで、それはもう様々ですが、寝覚の床に残されている浦島伝説は、太郎が竜宮城から帰り、玉手箱を開くまでが描かれています。


竜宮城の夢のような日々から現実に帰った太郎は、竜宮城にいたひとときが300年であったこと、周りに自分のことを覚えているものがいないことに驚き、やがて諸国漫遊の旅路に出ます。


一説には、竜宮城から持ち帰った秘宝の中の飛行の文書で寝覚の床までやってきたともいわれているのです。


寝覚の床の風景を気に入った太郎は、魚釣りをしたり、竜宮城の巻物を参考に仙薬を作って地元の住民に分け与えたりしながら暮らしていました。


ふとある時、竜宮城から玉手箱を持ち帰ったことを思い出します。
決して開いてはならないと忠告されていましたが、太郎は玉手箱を開いてしまいました。すると中から紫色の煙が立ち上り、太郎はたちまち300歳の翁のに・・・・。


太郎は嘆き悲しみ、やがて寝覚の地から姿を消してしまいました。そして寝覚の床には人知れず弁財天の像が残されており、これを祀って建立されたのが、臨川寺といわれています。


ちなみに、上松町の公式キャラクター「太郎ちゃん」も、この浦島伝説を参考にしています。


弁財天像
傍の臨川寺の縁起によれば、その弁才天像を祀ったのが当の寺であると言います。ちょっと上にあります。
建立の由来を語る『寝覚浦嶋寺略縁起』があります。


浦島太郎は竜宮城から玉手箱と弁財天像と万宝神書をもらって帰り、日本諸国を遍歴したのち、木曽川の風景の美しい里にたどり着いた。


ここであるいは釣りを楽しみ、霊薬を売るなどして長年暮らしていたが、あるとき里人に竜宮の話をするうち玉手箱を開けてしまい、齢300年の老人と化してしまった。天慶元年(938年)にこの地から姿を消したと言われる。


しかし、ここからは随分険しいのでここでストップ。


三返りの翁
民間伝承によれば、寝覚の里には三返りの翁(みかえりのおきな)という、長寿の薬を民に供していたされる伝説上の人物が住んでいた。


室町時代後期の謡曲「寝覚」がこの伝承に基づいている。この作品のあらすじでは、長寿の薬のことを耳にした延喜当時の天皇が、その風聞を調べてくるように寝覚の里まで勅使を遣わすと、翁が医王仏のであると名乗り、その秘薬を献上する。翁はすでに千年来、寝覚の床に住んでいるが、薬を使って3度若返ったので「三返りの翁」の名称がついたのだと説明される
『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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