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福井県 人魚伝説の地 空印寺 八百比丘尼 もちろんパワースポット

                         ※ 追記記事 7月2日
空印寺
住所:福井県小浜市小浜男山2
山号:建康山(けんこうさん)
宗派:曹同宗 
創建:1688年
本尊:馬頭観音菩薩
電話:0770-52-1936
駐車場:数台


交通機関
小浜駅から徒歩で15分
2012・4・12


福井県小浜市の小浜藩主・酒井家の菩提寺(かの有名な酒井忠勝・徳川家康の家臣)


寺の裏に墓所があります。歴代の城主の墓で、もともとは若狭守護武田氏の守護館跡。若狭守護武田氏は後瀬山城を築き守護館をこの後瀬山城の山麓に建てた。水堀を廻らせた堅固な守護館であったとされています。



周辺には多くのお寺がありますが、小浜観光に外せないスポットだと思います。

本堂

本堂の屋根 少し珍しい

厨子に安置された八百比丘尼


掛け軸

ハ百比丘尼の像と祠

あまりきれいでない写真上 
スキャナー故障もあります。


人魚の肉を食べて不老不死の力を得たという八百比丘尼(やおびくに)の民話は全国各地に残っています。福井県小浜市の空印寺は八百比丘尼が入定したという洞窟があるお寺です。ここだけです。



654年、斉明天皇の御世、若狭の国の高橋長者という金持ちの家に、玉のように美しい娘が生まれました。娘が16歳の時、父親の高橋長者はある男から夕食に招かれます。



素性はよく分からないものの、いつのまにか村に住みついていました。高橋長者と近所の者が男の家にでかけてみると、それはそれは豪華な大豪邸。(竜宮城⁉)圧倒されつつも男に案内されて屋敷を見物してまわりました。そして調理場で不思議なものを目にします。



まな板の上には肩から下が魚、白い二本の腕とザンバラ髪の子供の頭を持つ、奇妙な生き物。料理人の手には包丁が握られています。竜宮城のお土産だということです。



家に帰ると娘はお土産の肉に興味津々。思わず口に運ぶとなんたる美味か。ついつい全部食べきってしまいました。それからというもの、娘は全く老いることがなくなってしまったのです。



かくして不老不死となった娘は頭を剃り、八百比丘尼として全国行脚を続けながら人びとに神仏への信仰を説く旅を続けたのであります。これが有名な八百比丘尼伝説。全国各地に伝わっていますが、空印寺のように入定したという地は珍しいのです。



パワースポット
この洞窟にお祈りすれば不思議な霊験があらわれるとして信仰されているらしいです。


※ちなみに。6月30日は人魚の日


日本から世界各地に人魚として輸出されたが、多くは頭は猿、胴体は鮭で造られた偽物だそうです。


各地の伝承に共通して、生前は椿の花を愛したと言われ、特に白い椿(或いは白地に薄い赤の斑が入った椿)は、八百比丘尼を象徴する花として伝承されている。


※追記
日本における最も古い人魚の記録は、『日本書紀』にあるとされているそうですが、その日本書紀以外にも、各地に様々な人魚の伝説が残ります。


室町時代の文献・『中原康富記』には、文安6年(1449年)5月に、京都に八百比丘尼が現れて大騒ぎになった事が記されていたり、


その他にも、各地には、比丘尼が植えた木や、足跡の残る石などもあり、当時は、現実にあったかように伝えられているこのお話ですが、おそらくは、旅の尼や巫女などが、たまたま美しいがために、そのように噂されたり、


あるいは、自称して全国を行脚して回ったりしたのでしょうが、それらの、諸国を巡り歩いた尼によって、この伝説が各地に伝わったものと思われます。



このお話は、若狭(福井県)の小浜、あるいは佐渡の羽茂(はもち)が舞台となっている事が多く、室町時代頃に最も広まったようで、地方によっては八百比丘尼を「やおびくに」と呼んだり、ヒロインの彼女の肌が白く美しかった事から『白比丘尼(しらびくに)』と呼ぶところもあるようです。


いやはや知らなかったな、子供がブログ見てメールくれました。
八百比丘尼(妖怪ウォッチ)



 JR中央線の高蔵寺駅からバスで3つ目、円福寺前で降りると、円福寺というお寺があります。


裏山の参道にひっそりと小さなやしろがたっています。このやしろには、「八百比丘尼」が祀られています。


ここの伝説にも結局若狭の国にいったという。
ここから若狭の国まで洞窟が続いているというのが、言い伝えであるらしい。


最後までお読み頂きありがとございます。

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