ほんわか人生の旅

全国各地の観光 古典文学 映画観賞 健康

鎌倉 明月院 悟の窓

鎌倉 明月院
紫陽花寺で有名
国の史跡 1984年(昭和59年)


住所:神奈川県鎌倉市山ノ内189
山号:福源山
宗派:臨済宗建長寺派
創建:応永元年(1394年)
開基:上杉宗方
本尊:聖観音菩薩坐像
☎:0467-24-3437
駐車場:近隣を利用
交通機関
JR横須賀線 北鎌倉下車 徒歩10分


拝観料:300円。6月は500円。(6月と紅葉の時期は庭園特別拝観あり※別途500円必要

首藤刑部太夫・山ノ内経俊が永暦元年(1160)に平治の乱で、戦死した父・首藤刑部大輔・俊道の菩提供養として、明月院の前身の明月庵を創建。


その後、康元元年(1256)、鎌倉幕府五
代執権・北条時頼が執権を北条長時譲って、この地に最明寺が建立し、出家生活をここでおくったが37歳で死去。後に時頼の子・八代執権・北条時宗最明寺を前身に欄渓道隆を開山に禅興寺を創建した。



康暦二年(1380)、足利氏満から禅興寺中興の命を受け、関東官領・上杉憲方は寺院を拡大し、塔頭も建てれました。


この時、明月庵は明月院と改められ支院の首位におかれた。上杉憲方の法名は明月院に由来します。
足利三代将軍・足利義満の時代に禅興寺は関東十刹の一位となったが、明治初年に禅興寺は廃寺となり、明月院だけが残った。



境内には北条時頼廟、北条時頼墓(宝篋印塔)、鎌倉十井の1つである「瓶(つるべ)の井」(「甕(かめ)の井」とも)、「明月院やぐら」と称される、岩を掘りぬいた墓室(憲方の墓とされる宝篋印塔を安置)などがある


石段は随分とすり減っています。何万人の方が訪れたのか。垣間見ることが出来ます。

補方丈から見た庭園

方丈の様子

内部には入れませんので望遠で撮影
庭 園   
方丈内の円窓は、悟りや真理、大宇宙などを円形で象徴的に表現したもので「悟りの窓」と呼ばれている。手前に枯山水庭園、奥に後庭園と二つの庭園を持ち、後庭園は通常非公開で円窓からしか見ることができませんが、約3000本のハナショウブと紅葉の季節に特別公開される。


やぐら
鎌倉のお寺櫓が多いのには驚きました。
鎌倉の中でも最大級のやぐら。上杉慶方の墓と言われる宝篋印塔が祀られています。
開山堂を囲む「明月院やぐら」と呼ばれるやぐらは、鎌倉最大の規模。


間口7m ・奥行6m ・高さ3m


鎌倉十井の1つである「瓶(つるべ)の井」(「甕(かめ)の井」ともいう。

開山堂
山内上杉家の祖、関東管領・上杉憲方は密室守厳を開山として、明月院を開創した。開山の密室守厳像が祀られて



北条時頼の墓所と廟所
北条時頼(1227~1263)は、五代鎌倉幕府執権。36歳の若さで亡くなる。

×

非ログインユーザーとして返信する