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滋賀県 道の駅 竜王かがみの里 仁王尊・石灯篭・宝篋印塔・西光寺跡

道の駅 竜王かがみの里
住所:竜王町大字鏡1231番地の2
駐車場:約70台
☎:0748-58-8700
ここに駐車して近隣を散策する。旧所、名跡が多いです。
前に記事にした。鏡神社、平家終焉の地、義経元服の池そして今回紹介する


中山道(国道8号線)沿いにある「道の駅竜王かがみの里」の駐車場横のわき道を突き当って右側。駐車場からは、歩いてすぐなので、道の駅の駐車場から徒歩で。緩やかな坂・階段を上ると、8畳敷きほどの畳の部屋の建物があり、中には、仁王堂と書かれた提灯が掛っていす。


その奥に仁王尊堂。仁王尊堂の右手には、祈願された方が奉納されたと思われるわらじが沢山掛っています。仁王尊堂左手の坂道をさらに上がっていくと、西光寺の名残をとどめる宝篋印塔や西光寺の鎮守であった八柱神社の石灯籠等が残る。

民家の入り口みたいです。門の脇を奥に進みます。正面は鏡の里

そう広くはありません。8から10畳ほどの広さ


仁王尊
仁王尊は本来阿形と吽形の対であるが1体のみであった。
仁王様と一般に親しまれる金剛力士は阿吽(あうん)の呼吸と言われるように、本来阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)の2体を一対として、表門などに安置されていたはずですが、残っているのはこの阿形の一体だけです。地元では昔山崩れがあった際に、片方が山に埋もれてしまったと伝わっていました。


しかし、近年この一対の片方が金沢で発見されたということです。
金沢市の担当の方が調査に来られ、また滋賀県側の調査でも一対の仁王尊であることがほぼ間違いないことが判明したのです。(石材の科学的分析調査が行われていないという意味では100%確実ではないそうです。よく似ています。


金沢の石造金剛力士像(吽形)金沢市保ムページより



宝篋印塔 
塔身四方の隅飾りには直立する梟が刻み出され、極めて珍しい。
お寺の水盤にフクロウの彫刻があるのはよく見かけます。


笠石上部の相輪は七輪を残し上部を欠損していたが、他の部材に大きな傷みはあまり見られない。梟と梟の間の石には阿弥陀如来のキリーク(梵字)が彫られている。


一言
梵字が持つ力
昔から、梵字にはそれ自体に神聖で霊的な力が宿っていると言われています。
梵字の一文字は神仏を現し、様々な功徳を与え、また災難から救ってくれるパワーを持っているといわれています
身につけていれば、お守りの役目もはたすのです。



さらに梵字には「干支」に対してのそれぞれの文字もあるのです。
自分自身の干支の梵字を 身につけることで、その梵字が現す守護仏に守られるのです。 干支の梵字もあります。ちなみに私はキリーク(千手観音菩薩)です。
子年,戌年,亥年がキリークです。



梵字とは古代インドで生まれた文字で、一字一字が仏の力を表しています。仏教を通じ、日本に伝わり多くの文化に影響を与えてきました。干支によってそれぞれお守りとなる梵字・仏様を身近に置くことにより、守ってくれる力がより強まるとされている有難い文字です。


八柱神社跡の石灯篭
同じ敷地内の数メートル離れたところには、石灯籠(いしどうろう)がありました。
この石灯籠は、西光寺の鎮守八柱神社(やばしらじんじゃ)の社宝であったとされ、高さが2.8mもあります。


「応永(おうえい)28年(1422年)8月8日願主敬白」の刻銘があり、室町時代初期の作です。柱は八角形で非常に珍しいです。普通は丸か四角です。
笠があり火袋は四仏が彫られている。国の重要文化財



西光寺跡
西光寺は、伝教大師(最澄)が夢の御告げにより鏡山十二峰の一つ星ケ峰の麓(滋賀県竜王町)に818年に建立され、往時は増坊三百坊といわれた天台宗の大寺院でした。
嵯峨天皇の勅願所であり、源頼朝が往還の時宿泊し、足利尊氏が元弘(げんこう)3年(1334年)後醍醐天皇に帰順を表明した所でもあります。


康平(こうへい)2年(1060年)の乱で焼亡した後中興されましたが、1571年信長の焼討にあい廃寺となります。

(当時信長に焼かれた寺院は非常に多い)
その後再建されることはなく、現在はここの歴史遺産のみが残っています。

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