伊勢物語 第14・15・16
14
むかしおとこみちのくにゝすゝろにゆきいたりにけりそこなる女京のひとをはめつらかにやおほえけんせちにおもへる心なんありけるさてかの女
中々に戀にしなすはくはこにそなるへかりけるたまのをはかり
うたさへそひなひたりけるさすがにあはれとやおもひけんいきてねにけり夜ふかくいてにけれは女
夜もあけはきつにはめなてくたかけのまたきになきてせなをやりつる
といへるにおとこ京へなんまかるとて
くりはらのあれはの松の人ならはみやこのつとにいさといはまし
といへりけれはよろこほひておもひけらしとそいひをりける
現代語訳
昔、男が陸奥の国になんとはなしに行ってしまった。そこに住む女が、京の人は珍しいと思ったのだろうか、一途にこの男を思うのであった。そこでこの女が詠んだ。
なかなかに恋に死なずは桑子にぞ
なるべかりける玉の緒ばかり
あの仲の良い蚕にでもなるんだった、生半可な恋に死んだりしないで
玉の緒(玉を貫き通した細ひも。また、その宝玉の首飾り)短いの意))ほどの束の間でも、なったらよかったのに
という歌までもが、田舎くさかったのである。しかしさすがに男は気の毒に思ったのだろうか、その女のもとに行って寝たのだった。
夜がまだ深いうちに女の所を出てしまったから、女は、
夜も明けばきつにはめなでくた鶏の
まだきに鳴きてせなをやりつる
あのあきれた鶏のやつめ。夜も明けたならば、木桶に放り込まずにいられないわ
まだ時がこないのに鳴いてしまって、あの人をさっさと帰らせてしまったじゃないの
と言ったので、男は「京へ行ってきます」と言って
栗原のあねはの松の人ならば
都のつとにいざといはましを
栗原にある、姉歯の松が人並みの人間であるならば
都のみやげに、さあ一緒に行こうと誘うのだけれどね
と詠んだところ、なんとすっかり喜んで、「あの人ったら私のこと、思っているらしいわ」と言っていたのだった。
追記
陸奥の国 東北。磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥。
陸奥の国の女どもは都から来た男にほれぼれあたかも貴公子
15
むかしみちのくにゝてなてうことなき人のめにかよひけるにあやしうさやうにてあるへき女ともあらすみえけれは
しのふ山しのひてかよふ道も哉人の心のおくもみるへく女かきりなくめでたしとおもへとさるさかなきえひすこゝろをみてはいかゝはせんは
現代語訳
むかし男、陸奥の国で、どうという事のない普通の人の妻のもとに通ったのだが、不思議なことに人の妻である とはみえない女だったので、男は詠んだ。
しのぶ山しのびて通ふ道もがな
人の心の奥も見るべく
しのぶ山の名のとおり、忍んであなたのもとに通う道があったらいいのだが
あなたの心の奥底をも見るために
女は男を、とても素晴らしいと思ったけれど、男がそんな田舎者の女の野暮な心の奥を見たからといって、一体どうしようというのか、どうしようもないではないか。
東下りのお話はここでおしまい
人妻をすくになってしまうお話
16
むかしきのありつねといふ人有けりみ世のみかとにつかうまつりて時にあひたりけれとのちは世かはり時うつりにけれは世のつね人のこともあらす人からは心うつくしくてあてはかなることをこのみてこと人にもにすまつしくへても猶むかしよかりし時の心なからよのつねのこともしらすとしころあひなれたるめやう〱とこはなれてつゐにあまになりてあねのさきたちてなりたるところへゆくをおとこまことにむつましきことこそなかりけれいまはとてゆくをいとあはれとは思ひけれとまつしけれはするわさもなかりけりおもひわひてねむころにあひかたらひけるともたちのもとにかう〱いまはとてまかるをなにこともいさゝかのこともえせてつかはすことゝかきておくに
手をゝりてあひみし事をかそふれはとおといひつゝよつはへにけり
かのともたちこれをみていとあはれと思ひてよるの物まてをくりてよめる
年たにもとおとてよつはへにけるをいくたひきみをたのみきぬらん
かくいひやりたりけれは
これやこのあまのは衣むへしこそきみかみけしにたてまつりけれ
よろこひにたへて又
秋やくるつゆやまかふとおもふまてあるは淚のふるにそ有ける
現代語訳
昔、紀有常という人があった。仁明・文徳・清和の
三代の帝に御仕えして、時勢を謳歌していたが、その後は世の中も変わり、時勢に取り残されてしまったので、世間並みともいえないほど落ちぶれてしまった。
人柄は、心が美しく、高雅なことを好み、他の人とは異なっていた。貧しく暮らしていても、なお昔よかった時の心のままで、世事に疎かった。長年連れ添ってきた妻が、次第に疎遠になっていき、遂に尼になって、姉で先に尼になった人の所へ行くのを、男は、この女と本当に打ち解けたことはなかったのだが、それではと言って出て行くのに際し、大変哀れには思ったが、貧しいので何一つしてやれることもなかった。そこで思い詫びて、親しくしている友だちのもとに、「こういうわけで、暇乞いをして去っていくのに、何一つしてやれることがなくてやってしまうのはつらい」と書いて、奥書に
指を折ってこれまで一緒にいた年月を数えてみると、四十年もたったのだなあ
かの友だちはこれを読んで、大変哀れと思い、夜具まで添えて歌を贈るには
年月だけでも四十年はたったのですから、その間奥方は何度もあなたを頼りにしたことでしょう
このように詠んでやったので、男は
これがあの天の羽衣ですか、なるほどあなたがお召しになるのに相応しい
喜びに絶えない余り、更に
秋が来て、露と見間違えるほどに
袖も濡れているのは、うれし涙が降り注ぐからなのです