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四国八十八ケ所車でお遍路の記録/50番  繁多寺 ・51番 石手寺

数珠落とさないよう

手首巻いておくか鞄に入れておいて

私は無くしてしまいました。


第1番札所から911.6㎞
50番  繁多寺 
住所:愛媛県松山市畑寺町32番地
山号:東山(ひがしやま)
院名:瑠璃光院(るりこういん)
創建:伝:天平勝宝年間(749~757)
開基:伝:行基、孝謙天皇(勅願)
御本尊:薬師如来
☎:089-975-0910
駐車場:無料、普通5台、大型1台
松山自動車道・松山ICから国道33号を松山市内方面へ。天山交差点を右折し、西に進む。約30分。


交通機関
JR予讃線松山駅から約6km
伊予鉄道久米駅から1.8km 


真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:よろずこそ 繁多なりとも 怠らず 諸病なかれと 望み祈れよ


  このお寺は天平勝宝年間(749‐ 57)孝謙天皇((在位749~758年)の勅願によって行基菩薩が、3尺の如意観音菩薩を刻み、開基されました。


当時の寺名は光明寺といいました。
弘法大師が弘仁年間(810‐24)こ の地にしばらく止まられ、堂塔を 整えて東山・繁多寺と号して第50 番の霊場に定められました。


 
繁多寺は、鎌倉時代に時宗を起こした、一遍上人が修行し、学問の研究に励んだ寺でもあります。



一遍上人は、空也を「先達」と仰ぎ、踊り念仏を広めていきました。


応永元年(1394年)、京都泉湧寺の快翁和尚が後小松天皇(在位1382~1412年)の命で住職となって以来、高僧があいつぎ、末寺100余り、36坊を擁する大寺になりまし


上人は明治19年に円照大師、さら に昭和15年には証誠大師とおくリ名されました。


皇家の菩提寺である京都・泉涌寺とのゆかりも深く、応永2年(1395)には後小松天皇(在位1382〜1412)の勅命により泉涌寺26世・快翁和尚が、繁多寺の第7世住職となりました。


簡素な山門。
山門からは、松山城、松山市内、瀬戸内海まで見渡せる。ここは市の景観樹林保護保護区に指定されています。



門をくぐると左手に庫裏、右手に鐘楼があり、一段高いところに本堂、その右に大師堂が並んでい ます。本堂の左手に石の鳥居が建ち、その奥の聖天堂には将軍徳川 家綱公の念持仏の聖天(観喜天) がおまつりしてあります。



鐘楼
繁多寺の鐘楼は、元禄9年(1696年)、法雲律師という人が社会のあらゆる階層の人々からわずかなお金を集めて造ったそうです。


鐘楼堂の天井絵は、中国古来の孝子二十四人の話を紹介する「御伽草子」の挿し絵をもとに描かれています。


極彩色の日本画が描かれていた。一枠ごとに絵が相違し一枚毎に写真撮影とも考えたがとりあえず天井全体を撮影しました。


本堂


本堂の提灯 大根が描かれている。

歓喜天堂
本堂の左手、鳥居の奥には唐破風屋根のお堂がある。


徳川4代将軍家綱の念持仏のひとつ、歓喜天が祀ってあります。
夫婦和合、厄除け、合格祈願
私達夫婦もお参りした。


大師堂



繁多寺→2.8km→51番:石手寺


第1番札所から914.2㎞
51番 石手寺 
住所:愛媛県松山市石手二丁目9番21号
山号:熊野山(くまのざん)
院名:虚空蔵院(こくうぞういん)
創建:伝:天平元年(729)
開基:伝:行基、聖武天皇(勅願)
御本尊:薬師如来
☎:089-977-0870
駐車場:有料民営(300円)普通200台、大型50台


交通機関
伊予鉄道道後温泉駅の東へ800m 


真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:西方を よそとは見まじ 安養の 寺に詣りて 受くる十楽


渡らずの橋(写真はありません)
 門前の洗い石という石橋があり弘法大師がかけたと「渡らずの橋」と言われているとのこと。この横に像があった、衛門三郎がひざまついた姿だそうです。



仁王門 国宝
山門参道扁額『熊野山』
鎌倉時代の文保2年(1318)に河 野通継の寄進によるものです。
左右の像は、運慶一門の作といわれています。

仁王門内側

二の門を真っ直ぐ行く(参道には屋根があり両側に売店がある)、両側の鴨居には色々縁起が書かれていました。

お祭り



鐘楼
鐘楼の裏側には護摩堂があります。


訶梨帝母天堂
訶梨帝母尊(鬼子母神)を祀る堂。鎌倉末期。


妊婦は堂周りの石を持ち帰り、無事に出産すると石を2つにして返すという風習があります。


本堂
 本堂の前には金色の大きな三鈷杵(安定のため四本)が置かれていた。
この前で記念撮影。


(密教で使われる仏具:金剛杵には3つの形があり、両端がひとつの突起になったものを、独鈷杵(どっこしょ)・三股のものを三鈷杵、五股のものを五鈷杵という。)



独鈷杵は金剛杵の基本形で、五鈷杵は最も重要視される法具で、弘法大師が唐から持ち帰り生涯大切にし、祈祷のとき必ず手にしていたのが五鈷杵です


私は以前友人と善通寺を訪れたときにペンダントになった五鈷杵(金メッキ)を購入し肌身離さず持っています。


洞窟の中にお地蔵さん

地獄門
地獄門があり閻魔が見張る穴をくぐっていく、前も見えないくらい暗い所々に明かりがあるトンネルの中央に菩薩像がありさらに進むと道路に出た。


振り返ると地獄門と彫られた石碑があった。向かいの広場に閻魔大王が門上にある参道があったが撮影だけにした次回はのぞいてみよう。とても見所が多く一時間は必要です。


大師堂
両側にはお坊さんの肖像画

大きな面が掛かっていました





三重塔 (国の重要文化財)
高さ23.83m 一辺が4.86m
鎌倉時代 文保2年[1318年]の建立
内部には、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩が安置されています。


一階の外側には四国八十八か所のお砂が布袋に入れて陳列されている。
これに触れることで霊場88カ所を全て廻ったと同じご利益あるそうです。
細かい字で寺名が書いてありました。



塔は招福という大きな扁額がかけられていた。また12神将を描いたふすま絵?、そして顔だけの仏像がたくさんあった。


次は
石手寺→10.7km→52番:太山寺

さあ

頑張って行きます。

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