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鎌倉 鶴岡八幡宮 源氏の守護神 源頼朝・北条政子

鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮は古都鎌倉の中心にあります。

源氏守護神を祀る八幡宮。


山を背に建つ朱の社殿はとても美しかった。


 歴史は康平6年(1063年)、源頼義が源氏の守り神として由比郷鶴岡(現在の材木座)に京都の石清水八幡宮を勧請したことから始まります。後に源頼朝が現在の地へ遷し、鶴岡若宮と称したのが現在の鶴岡八幡宮。



住所:神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
電話番号:0467-22-0315
鎌倉幕府から篤く信仰された鶴岡八幡宮は、広く武門の神、勝利の神として崇敬を集めることとなった。


御祭神
応神天皇 おうじんてんおう
比売神 ひめがみ
神功皇后 じんぐうこうごう
鶴岡八幡宮をこの地へ遷した源頼朝は、平安京を手本として町づくりを行ったそうです。


 その際に内裏として想定されたのが鶴岡八幡宮であり、朱雀大路になぞらえて建設されたのが若宮大路です。

三の鳥居

段 葛
鶴岡八幡宮の参道であり、鎌倉の目抜き通りでもある「若宮大路」は始点は由比ヶ浜の「一ノ鳥居」から。中央が正式な参道となっており、二ノ鳥居から三ノ鳥居までは一段高くなった「段葛」と呼ばれる道となっています。


 段葛は、日本に唯一残されている遺構です。ここをのんびりと散策しながら参拝しました。


「段葛」という名は、葛石を積み上げて造られたことから、そう呼ばれるようになったのだといわれます。


鎌倉駅からは徒歩5分ほどで二ノ鳥居に着きます。


由比ヶ浜一の鳥居から鶴岡八幡宮までは約2kmあるそうです。


またニノ鳥居からは段々と狭くなります。

ニノ鳥居の巾4・5メートルですが

八幡宮前では2・7メートルとなります。

太鼓橋
三ノ鳥居が境内の入口。入ってすぐに目に入るのが「源氏池」と「平家池」そしてそこに架けられた「太鼓橋」。造営当時は朱に塗られた「赤橋」と呼ばれる橋だったそうですが、現在は渡ることができません。両側どちらかの橋を渡ります。



太鼓橋は1182年に源平池が造営されたときにかけられたと伝えられています。
将軍が鶴岡八幡宮を参拝したときこの橋で輿から下乗したそうです。
当時は朱塗りの赤橋であったことから赤橋と呼ばれました

  
鎌倉の古図でも赤橋と記されているようです。


太鼓橋の左が平家池といいます。
「平家を踏みつぶす」という意味で架けられた橋ともいわれ、「新橋」と呼ぶらしい。


現在は太鼓橋の両側に橋がありますが昔は左側のみでした。
 右側の橋は大正か、昭和の初めに架けられたのだという。

  

現在の太鼓橋は太鼓橋は、1923年(大正12年)の関東大震災によって全壊したため、1927年(昭和2年)に架け替えられた。


橋脚、橋桁は鉄筋コンクリート製、橋床版、欄干は石製、擬宝珠は青銅製。
「太鼓橋」は、地上の人と天上の神とを結ぶ架け橋で「反り橋」とも呼ばれます。


太鼓橋は、30度の勾配がある。
弓状に反って架けられているのは、虹に例えられているからといわれています。


北条氏の庶流「赤橋流」の苗字は、この太鼓橋(赤橋)の近くに屋敷があったことによる。
1591年(天正19年)、豊臣秀吉が作らせた「鶴岡八幡宮修営目論見絵図」
があるようです。

この池は北条政子が造りました。


平家池は島が4で死を意味し

源氏池は島が3で産で繁栄


私たちは、七福人の御朱印を頂くため右手の旗上弁財天社へ行きました。
こちらの御社殿は八幡宮の創建800年記念となる1982年に、古図を元に復元されたものです。御社殿前は藤棚になっていて、春には白い藤の花が咲き誇ります。


弁財天社の裏手にある、もう一つの見所があります。政子石(まさこいし)。源頼朝が妻の政子の安産を祈願したとされる石です。夫婦円満の祈願石で姫石とも呼ばれ、子宝や安産のご利益もあるとされています。(写真はありません)

手水舎
手水舎にて手を清めてから参道を進むと舞殿が見えてきます。

手水舎の彫刻

若宮(下宮) 
舞殿の向こう側には大石段があり、石段の右脇にあるのが若宮です。鶴岡八幡宮は両宮ともに流権現造。朱塗りに極彩色の装飾が山の緑に映え非常に美しいものでした。
鶴岡八幡宮は、大臣山の中腹に位置する本宮(上宮)と大石段の下に位置する若宮(下宮)があり、上下両宮の形態をとっています。建久2年(1191年)、火災により社殿が焼失し、それを機に現在の姿に整えられました。


 現在の若宮は1624年に修復したもので、建物は上宮よりも古く国の重要文化財に指定されています。一部工事中でした。
若宮は仁徳(にんとく)天皇、履仲(りちゅう)天皇、仲姫命(なかつひめのみこと)、磐之媛命(いわのひめのみこと)をお祀りしている御社殿です。


大石段の前にある「舞殿」。下拝殿とも呼ばれ、義経を慕う静御前が舞をおさめたとされる若宮回廊跡に建てられています。


毎年4月に行われる鎌倉を代表する観光行事「鎌倉まつり」では「静の舞」が演じられることでも有名。神事や結婚式が行われる場所としても利用されています。


源義経の愛妾であった静御前が義経を想う舞を納めたとされる廻廊跡に建っており、現在も「鎌倉まつり」ではそれにちなんだ「静の舞」が行われます。
義経には本妻と側室そして静御前の三人の女性がいました。


静御前は白拍子という舞姫でそれは美しい人だったようです。

大銀杏
大石段を下りた場所には、ご神木として長く親しまれ、鶴岡八幡宮の歴史を見つめてきた大銀杏の跡があります。樹齢1000年といわれた大樹でしたが、平成22年(2010年)に強風のため倒伏。


現在は倒伏したあとや親木から芽生えたひこばえが育てられており、親木とともに「親子銀杏」として、大切にお祀りされています。
しめ縄で囲われたところが銀杏の木があった所



楼門
舞殿の向こう側、大石段[61段]を上った先にあるのが本宮の楼門。扁額に記された八幡宮の「八」は鳩の向き合う形を表しています。これは八幡神の使いが鳩であることにちなんだものです。


 壇ノ浦の戦いでは源義経の船に二羽鳩が舞い降りたちょうどその時、平家の人々が入水したといういわれがあります。
また二羽の鳩を使った「八」は源氏の幟旗の「八幡大菩薩」の「八」に使われました。 


「8」は武神、八幡神の「八」ということで関東武士にとって縁起の良い印でした。
鎌倉大仏の高徳院の大仏もその大きさから「八丈大仏」でここの名前にちなんでいるとか。


2633年(寛永10年)京都の曼殊院門跡良怒親王(りょうじょ)宸筆です。
楼門は二層造りです。
ここの作りも美しい限りでした。
ここの回廊を廻ると宝物殿があります。200円



楼門をくぐると
本 宮
本殿、幣殿、拝殿が縦に並んだ形式。文政11年(1828年)に江戸幕府11代将軍徳川家斉の命により再建されたもので屋根に曲線を与えた流造(ながれづくり)と、本殿と拝殿を一体化した権現造(ごんげんづくり)、その両方の特徴を兼ね備えた、流権現造の代表的な江戸建築です。
漆の朱に極彩色の彫刻が華麗な印象です。



 上宮 回廊。宝物と神輿を収めている。若宮の神輿もあり、7基ある。本宮(上宮)の神輿は3基あり、飾りは鳳凰、擬宝珠、菊の花である。


扁額の字は鳩です

庫の楼門に二体の像がありますがこれは随身像といいます。東照宮とおなじです。


随身というのは、上皇・法皇など貴族や皇族・摂政・関白などに仕えた警護の役人です。


 向かって左手が上座(会社でも課長は左)右手は下手(課長補佐)です。
ですので隋神門とも呼ばれることもあります。


ここの蟇股の彫刻もきれいです。

白馬(左側)赤馬(右側)・虎(正面右側)虎(正面左側)龍(正面中央)


裏側には赤鬼と青鬼の透かし彫りがあります。
また、牡丹・から獅子の木鼻・鳥の彫刻もありました。




7台の神輿がある

丸山稲荷社
商売繁盛

白旗神社
源頼朝公と実朝公をお祀りしており、源氏の家紋である笹竜胆が配されています。
必勝祈願・学業成就の神様

白旗神社の近くには、鶴岡八幡宮の元宮である由比若宮の遥拝所があります。。

鶴亀石
白旗神社の前にあります。
鶴亀石縁起のいい名前です。
案内によると、1841年〈天保12年・江戸時代〉に編纂された「相模国風土記稿」に

水をもって赤面を洗うきは鶴亀の文様が輝きあらわれる」と記されているようで大変めでたい石である。



鶴岡八幡宮は全部で8つの摂社・末社を持ち、そのうち7つが境内にあります(唯一の境外社が由比若宮)


本日のお宿は小町通りのホテルです。
食事してから鎌倉駅まで散策。
鳩サブレをお土産に購入。


最後までお読み頂きありがとございます。

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