ほんわか人生の旅

全国各地の観光 古典文学 映画観賞 健康

 出雲大社

出雲大社
住所: 島根県出雲市大社町杵築東195 
☎:0853-53-3100
駐車場:約300台
一番近い駐車場に駐車すると、一の鳥居・二の鳥居には行けません。
三の鳥居まで徒歩で向かいそこから入りました。
観光バスなどもそこからスタートです。


正式な参拝方向
神門通り入り口に立つ白い大鳥居を一の鳥居として、御本殿に至るまでに石、鋼、鉄、銅とそれぞれ異なる素材でできた四つの鳥居があります。鳥居やしめ縄は神域への入り口を示すもので、私たち人間が住む俗界との区切りとされているのです。


四つの鳥居をくぐるごとに1つずつ神様に近づきますので、一礼してからくぐります、これはお寺の楼門・山門をくぐるときと同じですね。
真ん中は神様の通り道ともいわれますので、左右どちらかの側から入るのが決まり。これはどこの神社でも同じです。
私たちは見ていませんが、一の鳥居にかかっている扁額(へんがく:鳥居や社殿の正面につけられた額)の大きさは、畳6畳分もあり日本最大級だということです


三の鳥居
ここを、くぐると色々なオブジェがあります。
また参道入口から進んだ場所に並ぶ見事な枝振りの松並木は、「松の馬場」とも呼ばれ、日本の名松100選にも指定されています。


四の鳥居をくぐると正面に拝殿がありますので、まずここでお参りします。現在の拝殿は1963年に新築され、大社造と切妻造の折衷様式で戦後最大の木造神社建築といわれています。通常はここで参拝者の御祈祷や、古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)をはじめとした様々な諸祭事が行われています。


出雲大社のお参りの仕方は、一般的な神社と異なり「二礼四拍手一礼」となっています。
(1)二度拝礼して (2)四回柏手を打ち (3)最後にもう一度拝礼します。(境内の全ての社も同様です。)


広さ約2万7000平方メートルの境内には、国宝の本殿を中心に拝殿、摂社8社、末社3社、文庫、宝庫、彰古館などが建ち並び、現在の本殿は延亨元(1744)年に建立。高さ24mで、白木を用いた日本で一番古い神社建築様式でもある大社造りの代表建築です。

神楽殿
本殿西の神楽殿にある長さ13m、周囲9m、重さ5.2t のしめ縄は日本一の大きさです。
出雲大社では、古くから向かって左方を上位、右方を下位とする習わしがあるため、しめ縄のかけ方が一般的な神社と逆になっていることも特徴的です。よく見てください。
現在のしめ縄は、2018年7月17日に6年ぶりにかけ替えられましたが、島根県飯南町で1年以上の歳月と延べ1000人の町民の手によって作られたものです。





楼門
本殿の前、八足門との間にあるこの門は、組物を多用し、八足門とともに豊かな装飾性が特徴の建物です。高さ約7.3m。
 楼門とは下の部分に屋根のない二階造りの門のことで、寛文7年(1667)の造営遷宮で建てられたものを延享の造営(1744)の際に移築したものと考えられます。


拝殿前の広場には
地面にあるピンク色の3つの丸い跡に注目してみてください。かつてこの場所には、高さ48mの巨大神殿が作られていました。その時の柱の痕跡がこちら。大きな神殿が実在していた証です。

出雲大社本殿
出雲大社本殿は大社造と呼ばれ、伊勢神宮の神明造とともに神社建築の二大源流です。切妻妻入(きりづまつまいり)で9本の柱を田の字型に配し、中央には直径1mを超える心御柱(しんのみはしら)が立ちます。正面と背面の中央には棟木まで伸びる宇豆柱(うずばしら)が立ち、戸口を中央に作れないため、東の間に御扉(みとびら)、木階(きざはし=階段)、階隠(はしかくし=階段上の傾斜した屋根)を設けています。
 屋根は檜皮葺(ひわだぶき))、屋根面の広い部分は一般的に長さ76cmの檜(ひのき)の皮を12mmずつずらして重ね、竹の釘で葺きますが、出雲大社本殿は長さ121cmの皮を9mmずつずらして葺いています。重なる部分が多くなるため、檜皮葺の厚さは20cmにもなります。また軒先の厚い部分は60~90cmもの厚さになっています。
 現在の本殿は、延享元年(1744)の建立で、寛文造営時の規模を踏襲し、3年半の歳月を要して完成ましした。高さは24m、神社建築としては国内最大級で、昭和27年(1952)には国宝に指定されています。
葺きの屋根の上には、長さ7.9mの二組の巨大な千木が交差しています。江戸時代(1744年)に再建されたもので、1952年に国宝に指定されています。正月三が日は八足門が開放されて、御本殿を囲む瑞垣(みずがき)の楼門前まで入ることができます。
大遷宮で、御本殿の大屋根や千木(ちぎ)などが新装されました。


拝殿の後方に回ると玉垣(たまがき)に囲まれた御本殿の大屋根が見えてきます。御本殿前に立つ八足門(やつあしもん)から御本殿を望みながら参拝します。

ご慈愛の御神像

結びの御神像


八足門
拝殿の北側、本殿の正面の石段を上がると八足門があります。一般の参拝では、正月三が日と特別なことがない限りこの先へ行くことができません。
 この門は寛文7年(1667)の造営の際に建立され、門内部の鴨居部分上部の蟇股(かえるまた)や欄間(らんま)などには、流水を基調とした中に紅葉や桜、鳥など花鳥風月の彫刻が散りばめられています。柱には木目の美しいケヤキ材を用いるなど、境内の中でも豊かな装飾を持つ門です。


国旗掲揚の高さ47m 国旗の大きさは畳75畳分あります。


全国の神様がココ出雲に大集合!
だから、地元では十月を「神在月」と呼ぶのです


神々の故郷・出雲。それには理由が存在します。
そのことを代表する一例が暦の呼び方。
十月は、一般的に「神無月(かんなづき)」。しかし、神々が集まるこの地域だけは「神在月(かみありづき)」と呼ばれているのです。それは、全国各地の神様が全て出雲に集まって会議をするから。「神が在る」出雲は神在月、「神が無い」その他の地域は「神無月」。



耳より情報(帰宅してから分かった残念でした)
地元ガイドの間で「神様に一番願いが届きやすい拝礼位置」と言われているのが、御本殿の正面から左側に回り込んだ場所。ちょうど御本殿の真横に当たる位置に、ひっそりと参拝場所が設けられています。




昼食は、お蕎麦屋さんでいただきました。


出雲大社の歴史
日本最古の歴史書『古事記』・『日本書紀』によれば、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の国譲りに際して造られた壮大な宮殿これが出雲大社の始まりです。
 大国主大神は、「八千矛神(やちほこのかみ)」「大穴持神(おおなもちのかみ)」などの多くの別名があり、古来、朝廷や武家をはじめ多くの崇敬を集めてきました。『出雲国風土記』には、大国主大神のために大勢の神々が集まって宮を寸付(きづ)いたと記されており、「杵築(きずき)大社」と呼ばれました。
 出雲大社は、少なくとも8世紀には大きな社が建てられていたといわれます。平安時代中頃に貴族の子供たちが教科書として用いた『口遊(くちずさみ)』には、「雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)」という当時の大型建造物を示す記述があり、出雲大社が最も大きく、次いで奈良の大仏殿、3番目に京都の大極殿の順であることを意味します。社伝によれば、出雲大社本殿の高さは、最古は32丈(約96m)あり、その後16丈(約48m)になったといい、現在は約24mをはかります。『口遊』に登場する平安時代の出雲大社は、16丈の壮大な建物であったといわれています。
 現在の境内は、江戸時代前期、寛文7年(1667)の造営遷宮で計画されたもので、今もその時の建物が多く残っています。現在の本殿など瑞垣内のお社は、その次の延享元年(1744)の造営遷宮で建て替えられたものです。
 遷宮は、その後、文化6年(1809)、明治14年(1881)、昭和28年(1953)に行われ、その都度本殿をはじめとする諸社殿の修理が行われてきました。直近では、平成20年から平成31年にかけて「平成の大遷宮」の主事業として行われ、平成25年5月10日には本殿遷座祭が執り行われました。


須佐神社っへ向かう

×

非ログインユーザーとして返信する