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岐阜県 関市 円空入定塚 小瀬鵜飼

円空入定塚
2021年10月17日記事修正しリライトしました。
住所 岐阜県関市池尻


江戸時代の遊行僧円空が入定したと伝えられている塚がありました。
これは偶然、でした。弥勒寺を訪ねた時発見。
長良川河畔(この河原は小瀬鵜飼が行われる風光明媚な場所です。)
円空さん終焉の地にふさわしいのではないでしょうか。


あの有名な円空さんの入定の場所だってあまり知られていないようでした。お墓は弥勒寺にあります。


円空は美濃国出身で、日本各地を遊行し「円空仏」と呼ばれる独特の作風の仏像を多数残しました。近くにある弥勒寺を淡防止に出かけた時に見つけたのですが。


美濃国(岐阜県)出身で、日本各地を遊行し「円空仏」と呼ばれる独特の作風の仏像を多数残した。円空は晩年の元禄5年(1692年)に飛鳥時代後期に創建され、その後廃寺になっていた岐阜県関市の弥勒寺 を再興し、ここを自坊としました。


元禄5年時点で円空は高賀神社にいるがその後の動向は不明。弥勒寺の墓碑銘に拠れば、円空は64歳の時(元禄8年(1695年)7月13日)、己の死期を悟り、弟子に後事を任せる。そして弥勒寺の南に位置するこの長良川河畔に穴を掘り、多くの里人に見守られ念仏を唱えながら自ら土に埋もれ入定を果たしたという。


なお、円空の入定に関しては、弥勒寺に元禄8年7月13日に円空の弟子・円長に対して授与した「授決集最秘師資相承血脈譜」が残されていることから、疑問視する説もある。


弥勒寺の山中には藤が繁茂しており、円空は「この藤が咲く間は、この土中に生きていると思ってほしい」と言い残しこの世を去った。この円空入定塚は現在、藤棚の下にあり季節になると藤の花が咲き誇っている。
1973年(昭和48年)2月14日に岐阜県の史跡に指定されている。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より



小瀬鵜飼(長良川上流)
長良川鵜飼は金華山の麓あたりです。

ここの屋形船では、食事は出ません。
屋形船は船外機で上流へ行きます一度岸に寄せ鵜飼の説明があり。暗くなってくると
スタート、上流から数隻の鵜飼船が現れるとスタート、船頭は櫓をこぎ鵜飼船に寄せます。


鵜飼のスタート、船には数人が乗り槙を焚きながら、船べりをたたきます。数本の縄で鵜をあやつり、鵜がアユを食べると素早く引き寄せ、かごの中にはかせます。見事な手さばきでした。


このように上演しながら川を下ります。
先ほどの橋の下で総がかりをします。5隻の鵜飼船が集合するところはすごく良かった。
見とれシャッターは一枚もなし。


最後迄お読み頂ありがとうございます。

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