滋賀県 山部神社(赤人寺)
山部神社(赤人寺)
住所:滋賀県東近江市下麻生町214番
創建:不明
祭神:山部大神
別名:元小松宮、小松大明神(旧称)
☎:0748-48-2100
駐車場:あり
交通機関
東近江市蒲生下麻生祭神:山部大神山部神社は、赤人寺(しゃくにんじ)と隣り合って建っており、万葉の歌人・山部赤人を祀る。旧村社
麻生口バス停から西へ500mほど
当地は、万葉の歌人、山部赤人が生涯を閉じた地と伝わる。境内の「赤人桜」は、赤人が桜の枝に冠をかけたところ、はずれなくなり、そのままこの地に永住したと伝えられている。
倉時代の石造七重塔は、重要文化財。
文保弐年戊午歳九月日”の刻銘があることから1318年(文保2年)に建立されたことが分かった。
境内裏庭に建つ。文保2年(1318)の作とされ、赤人塔と通称される。
この塔は、下から基礎・塔身・七個の笠からなり、相輪は欠失しており、別のものが載せてある。
基礎から塔身までの高さは2.1mである。
山部神社本殿
。
本堂(赤人寺()
拝殿 入母屋造 間口二間五尺 奥行二間五尺
赤人廟碑
江戸時代後期には赤人創建の寺という伝説が定着したとされる。
慶応元年(1865)山部神社境内に建てられた赤人廟碑では「養老年間(717〜724)赤人による創建」と刻され、赤人の墓がこの地にあるとされている。近年に入ると歌会なども行なわれるようになる
句碑
句碑
境内には《田子の浦に 打ち出て見れば 白妙の 富士の高値に 雪はふりつつ》の新古今和歌集の歌碑が建っていた。
言い伝えでは、赤人寺の本尊は、山部赤人が田子浦より招いた観音像とされる。田園風景が広がる下麻生辺りは、12世紀頃に花山院家領の麻生荘として開かれた地域で、荘園時代の歴史を伝える社寺や中世の石造物が数多く残されています。
神社は、鎌倉時代以降は荘園や地方水論にかかわる等、当地の中心的な存在としての役割を果たしたと伝える。
造営に関する記録が少なく建立年代は不明であるが、様式上は16世紀初期と推定されています。万葉歌人にまつわる寺社とあって、明治時代には境内で盛大な歌会が催され、全国から多くに歌が寄せられたようである。
戦後まで、集落では厄年の男性を囲んで酒宴を開き、出席者が各自1首ずつ、その男性へ和歌を贈る風習があったといわれています。いいですね、もらいたい。
秋人寺とともに山部赤人の伝説の地とされるが、中世には小松宮、江戸時代には小松大明神と称されることが多く、古くは松の木を神木とする産土神であった。
18世紀以降、地誌類などで当社と山部赤人との関係が取りざたされ、慶応元年(1865)桂園派の歌人渡忠秋の勧めで領主であった旗本関盛章の撰により赤人廟碑の碑文が刻まれ、明治元年その碑が境内に建立された。
碑文には赤人寺は山部赤人の創建で「小松社は」は赤人の廟にあたり、近くには赤人の墓や赤人桜とよぶ桜木があったと記されている。
廟碑建立に奔走した忠秋は高島郡南船木村(現安曇川町)の出身で、近世後期の国学隆盛といった社会状況が背景にあった。