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日光 華厳の滝

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華厳の滝
住所:栃木県日光市中宮祠
☎:0288-55-0030
日光駅からバスで40分
徒歩で5分
駐車場:あり
入場料大人(中学生以上)530円 今は570円


宿泊したペンション  見えるのは食堂

いろは坂を上り切ると、そこが滝の位置する奥日光
明智平を後にし、トンネルを抜けるとそこは奥日光。このエリアには華厳の滝のほか、男体山の麓に広がる日本有数の湿原「戦場ヶ原」や、華厳の滝の水源「中禅寺湖」立ち木観音など、日光を代表する観光スポット多数あります。


水面の海抜高度1,296m、「天空の湖」といわれる「中禅寺湖」。秋の紅葉シーズンには遊覧船からの景色がとにかく素晴らしいようですが、私たちは少し遅かった。


年間を通じて気温が上がりにくいこの辺りは「関東の冷蔵庫」と呼ばれるほど。冬はしっかりと防寒対策を、夏でもウインドブレーカーくらいは必要かも。わた糞たちは薄いオーバーを着ていきました。


男山


華厳の滝駐車場 昨日雪が降ったみたい  除雪した雪があった

一つ目の観瀑台から見た様子。目の前に広がる壮大で雄大な景色はまるで絵画のよう……


落下するのは中禅寺湖の湖水。湖尻から滝まで流れる200mほどの川は「大尻川」と呼ばれていて、日光でも特に短い川の一つとされています。








昇降行程:100m 所要時間:1分
48もの滝が点在する日光周辺で、最も有名とも言えるのが華厳ノ滝。
中禅寺湖の水が、高さ97メートルの岸壁を一気に落下する壮大な滝で、自然が作り出す雄大さと、華麗な造形美の両方を楽しむことができます。
エレベーターで行ける観爆台から間近で見る滝つぼは迫力満点。爆音とともに水しぶきが弾ける豪快な姿が見られます。
華厳ノ滝は、袋田の滝(茨城県)、那智の滝(和歌山県)と併せて日本三名瀑として有名ですよ。

すごい華厳の滝  大迫力 那智の滝もすごいけどここも引けは取らない。



いよいよ滝つぼにある観瀑台へ
見下ろした後は見上げたい!ということで、さらに滝を近くで見ることができる観瀑台がある滝つぼへと向かいます。
滝つぼへは「華厳滝エレベーター」でしか行くことができません。岩盤をくり抜いて作られた二基のエレベーター(定員各30人)で滝つぼのある約100m下までおよそ1分で下ります。は随時運行しているので、並んでいてもすぐに乗れます。
どこかレトロで可愛らしいエレベーターの昇降券(中学生以私たちが訪れた時は530円・550円、小学生330円※ともに税込)。係員の人がかつての駅の改札のようにハサミを入れてくれます


岩盤の中を通るエレベーター内は、目の前に滝があることを感じさせないほどの静寂に包まれていました。


いよいよ扉が開き観瀑台へとつながる通路に到着!そこからさらに前の人についていくと。


滝の正面、滝つぼにある観瀑台。目の前には高さ97m、滝幅7mもの大瀑布!3フロアに分かれていて、各フロアで違った景色を見ることができるようになっています。


一説では太古の華厳の滝は800mほど下流にあったのだそう。長い年月をかけ後退して現在の姿になったとも言われています。それだけ浸食が進んだということですね。


華厳の滝の美しさは、落下する様だけではありません。滝を正面に見て右側の壁は「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」と呼ばれる奇岩の壁となっていて、滝に趣と迫力を添えています。


岩がゆっくり冷えて固まる時にできる、多角形の巨大で規則的な柱状が見られます


さらによく見ると、滝の中段より流れるすだれ状の滝がありました。こちらは「十二滝」と呼ばれていて、華厳の滝とは別の滝だそうです。


十二滝は幅100m、落差30m、岩壁の割れ目から流れ出る潜流瀑(せんりゅうばく)。この滝の前に虹がよくかかります。


虹が出てすごいです。






滝を見に行くまでも絶景!標高差440mの景色を楽しめる「いろは坂」
昔は一本道だったような記憶がありますが、記憶間違いかな。
登り専用線あるんだ。東照宮から行くと中禅寺湖は登りです。
運転に夢中で景気は見てられない。


華厳の滝へ向かうのは20カーブある上り専用の「第二いろは坂」。下り専用の「第一いろは坂」と合わせると48カ所の急カーブがあることから、カーブごとに「い」「ろ」「は」の看板が表示される急坂が続きます。


ここにはいきませんでした、情報だけ
まずは「明智平」から中禅寺湖&華厳の滝の大パノラマを堪能
見る場所によってもさまざまな姿を見せてくれる華厳の滝。第二いろは坂の終点近くにある「明智平(あけちだいら)」も絶景スポットの一つです。ロープウェイに乗り3分で到着する「明智平展望台」。


明智平”にまつわる明智光秀を巡る伝説
「本能寺の変」は徳川家康や明智光秀と共謀していた。
これは 徳川家康はすばやく大坂から伊賀越え、鈴鹿白子から船で逃げているので、伝説の域を出ない。


しかし、光秀ゆかりの人物を重く用いているのですね。3代将軍・徳川家光の乳母に明智光秀の重臣の娘である春日局を重用するなど、光秀と家康が深いつながりをもっていたと語る説があり、それが栃木県にある「明智平」にまでつながっています。

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