第42回斎王祭 斎王群行京都平安京(奈良平城京)三重県
6/7土曜日三重県明星で斎王祭りが行われた。
この祭りはボランティアが中心で他の祭りの様に公的機関が主催では有りません
十二一重を着た斎王
この暑いのにこの重さ頑張って
開催の挨拶に国など県など代読の挨拶はうんざり。
これは来年は辞めて欲しい。
明星の町長だけで十分
後他の市町村の寄付等もあるにはある、
県内の企業からの大口協賛金を(一口1000円)、これはありがたい、開催の運営費はバカにならない。
私の親戚のとある事業所も協賛金を出していた。
衣装、かつらなどただではないし、警備も馬鹿にならない。そんな中警察は巡回だけでひっそり見守っていた。ありがたいでないですか、この日も全くトラブルはなかったかと。
ステージも立派だった。
雅楽も生演奏をしながら斎王行列約1㌔と少し位あるのかな、夜の部はその1㌔コースが変わる。
屋台もかなり出店していた。
同じような店は少し距離を置いて
また個人で出している宝飾店舗も、肌に貼るシール等もあった。
私は年寄りでちょっとよろけたらお店から人が来て大丈夫ですかと声をかけられた。
少し足を悪くしたので折りたたみの椅子を持参したがここは椅子使ってもいいですよと案内され嬉しかった。
今年の斎王
この後昨年の斎王から檜扇の伝達があり
カキツバタの花を池に浮かべる
風流傘
これは京都時代祭りでも行われる
斎王様お顔が見えませんでした
昔は腰を担いで甲賀から伊賀越えをして来た
雅楽
子供斎王
さいくうの森ステージ
斎王制度は、今から約1,300年前の第40代、天武天皇の御代に制定されたもので、歴代天皇が御即位されるたびごとに、未婚の皇女または女王の中から占いによって選び出された斎王を 天皇の御名代、天照大神の御杖代として、伊勢の斎宮御所(明和町)へ遣わせた。
斎王になられた女性の方は、3年間精進潔斎の生活を送った後、皇居より斎宮御所に遣わされ、年3回の三節祭の時だけ伊勢神宮へ行き、お祭りを行うことになっていた。この制度は、第96代の後醍醐天皇の御代まで続けられていた。
斎王が都に帰るときは天皇が逝去したときその任期は終わります。
ですから斎王は未婚のまま二十年三十年を斎宮で過ごします。
斎王の宿泊された所は近江の国で、勢多・甲賀・垂水、伊勢の国で鈴鹿・壱志の5ヶ所である。
斎王が宿泊された所を頓宮といい、頓宮は仮の宮とか、にわかの宮とも言われており、斎王群行が行われるたびごとに建造され、群行が終わると解体された。
ここ土山の垂水の頓宮は、群行が平安京を出て、3日目に泊まられたところであるが、皇室の一大行事であり、また数百人のお供の人達が宿泊される所であったので、立派な建物が、幾棟も建っていたものと思われる。
この垂水の頓宮跡は、昭和10年に、当時、内務省から派遣された学者達がこの現地を調査した結果、頓宮跡地であることが実証され、昭和19年には文部省より国の史蹟に指定された。5ヶ所の頓宮地の中で、国の指定を受けている所は、現在この垂水頓宮だけである ネット記事より
滋賀県愛の土山でも群行が行われる
旅は五泊6日 数百人が付き添った。














