ほんわか人生の旅

全国各地の観光 古典文学 映画観賞 健康

京都  秋の東福寺   

東福寺
住所:京都市東山区本町15丁目778
宗派:臨済宗東福寺
山号:慧日山
創建:1236年(嘉禎2)
開基:九条道家
本尊:阿弥陀如来
電話:075-571-0087
駐車場;あり
    ただし、秋は駐車できません。
交通機関
JR奈良線「東福寺駅」下車徒歩約10分


條家の菩提寺として嘉禎2年(1236)から19年の歳月をかけて建立され、規模は東大寺につぎ、教行は興福寺にならうという意味から、東福寺と名づけられた。本尊は釈迦如来。本堂は昭和9年再建、三門は現存最古の




三門 (国宝)
境内の最も南にある「三門」。現在の門は室町時代、応永12年(1405)頃に再建されたもので、禅寺の三門としては日本最古にして最大。国宝に指定されています。大仏様(天竺様)、禅宗様(唐様)、和様を組み合わせた建築様式、5つの柱と3つの入り口がある「五間三戸(ごけんさんこ)」という造りで、二階建ての構造です。


二階の内部には、画家・明兆(みんちょう)の手による極彩画が描かれ
宝冠釈迦如来(ほうかん しゃかにょらい)十六羅漢像が安置されています。
毎年3月14日~16日の涅槃会(ねはんえ)の時などに特別公開されます。



三門の奥に聳えるのが本堂(仏殿)、この二つの巨大木造建築が同時に見ることが出来ます。
東福寺の本堂である「法堂」。かつては、高さ15メートルもある釈迦如来像が祀られていたそうですが、明治の火災で仏殿も仏像も焼失。現在の建物は昭和9年(1934)に再建。ご本尊は塔頭寺院から移された、13世紀後期制作と伝わる釈迦如来立像です。
本堂の扁額には」毘盧宝殿」と記されています。


雲龍(八方睨みの龍)
仏殿(本堂)の天井に描かれているのが、堂本印象画伯による「法堂天井画龍。
この龍を17日間で描き上げたそうです
描かれた龍の大きさは体長54メートル,胴回り6.2メール.仏殿内部は非公開ですが、建物の外から、覗くことができます。中央にある龍の目つきは大迫力です。
南側から覗いてみてください


勅使門


本坊庭園


禅堂、
「禅堂」は、日本最大にして最古の坐禅道場。毎週日曜日には、一般参加ができる「日曜坐禅会」が行われています


浴室
東大寺の大湯屋に次ぐ日本で二番目に古い建物

東司(とうす)
皆さんご存じ便所です。
通称百雪隠(ひゃくせっちん)、百人の僧侶が用を足すことができた最古のトイレ遺構で国の重要文化財。広い土間の地面にたくさんの穴が開いていてそれぞれ瓶が埋められています。この一つ一つが便器なんですね。瓶はずらりと向かい合わせに2列に並んでいます。説明書きによると右側が大便用、左側が小便用。



方丈に到着すると、まず眼に入るのがこちら。柱石で北斗七星を構成した東庭です。さりげなく白砂の中に配置されているものの、誰しも北斗七星と分かるところが流石ですね。
方丈正面の庭園   唐門門が見える
ご覧のとおり南庭は長方形の枯山水式庭園で、砂紋が荒海を、また4つの巨石群が蓬莱をはじめとする四仙島を表現します。


西庭
刈り込んだ庭が綺麗
次は西庭です。この庭園は”井田市松(せいでんいちまつ)”と呼ばれ、その名の通り、格子(チェック)模様を白砂と植木で描写しています。井田は、正方形の土地を九分割。。市松はご存じの通り、格子模様のことです。

北庭
続いて、北庭は”小市松の庭”。西庭の市松模様を細かくしたように、苔と石が小さな格子模様を構成し、さらに西庭から離れるに連れて格子模様が少くなります。そして、最後は庭の東の先の谷に落ちるというイメージだそうです。西庭と合わせて描いているんだとか。



通天橋のある渓谷、洗玉澗(せんぎょくかん)に向かいます。ここでも拝観受付が必要ですので、料金をお支払いして先に進みます。このまま回廊を真っ直ぐ歩くと通天橋を通って開山堂に行けます。




開山堂 伝衣閣(でんねかく)
東福寺常楽庵 客殿(普門院) とうふくじじょうらくあん きゃくでん(ふもんいん)
通天橋を渡りきった突き当りの右に、緩やかな登りの石段がありますのでここを上ります。


開山堂・昭堂は上部に楼閣風の伝衣閣(でんねかく)をもつ点が珍しい。
正面に開山堂の伝衣閣、右手に小さな池のある苔の庭園、左手に白砂の庭園と普門院があります。
1819年(文政2年)に焼失した後、1823年(文政6年)に一条忠良によって再建された2階建の楼閣で、開山円爾像を安置する(重要文化財)。


上層は「伝衣閣」(でんねかく)と呼ばれ、金閣(鹿苑寺)、銀閣(慈照寺)、飛雲閣(西本願寺)、呑湖閣(大徳寺塔頭芳春院)と並ぶ「京の五閣」の一つで、中央に阿弥陀、右に薬師、左に布袋像を祀っている。


特に布袋像は「三国伝来の布袋」と呼ばれ、伏見人形のルーツとなった。
開山堂にお参りをして、左手の普門院に向かいます。
東福寺の開山である円爾(えんに)を祀る開山塔院である。現在の建物は文政2年(1819)炎失後の再建
そして普門院の縁側に座って庭園を眺めるといいですね。
ここにはもみじはなく、白砂と苔や松の緑ばかりです。
手前が枯山水の白砂、奥が池泉式風、そして左手には伝衣閣の雄姿となかなか面白い庭園です。江戸中期。


愛染堂
洗玉澗を渡ると、谷の斜面に朱色が鮮やかな八角のお堂、愛染堂が見えてきます。その名の通り、愛染明王をお祀りしています。
東福寺でやはり有名なのは「橋」。境内を東西に横切るように「洗玉澗(せんぎょくかん)」という渓谷があり一筋の川が流れているのですが、その上に架かるのが、臥雲橋(がうんきょう)、通天橋(つうてんきょう)、偃月橋(えんげつきょう)の“東福寺三名橋”と称される3つの橋です。


臥雲橋
「臥雲橋」は一番西側にある木造の橋で、拝観の方はもとより、地域の方の生活道路ともなっています。そのため、紅葉の時季には「撮影禁止」となるなど、もっとも賑わう橋といえます。



紅葉の時季はこの通天橋のでっぱりは、係の人が「交代してくださいと」やんわり言われます。


通天橋
通天橋」は、三名橋のなかでももっとも眺めの良さから観光用の橋と思われがちですが、けっしてそうではなく、本来は修行僧が渓谷を渡らなくてもいいように、本堂(仏殿)と開山堂をつなぐために架けられた修行の橋です。
1380年(天授6年)に春屋妙葩(しゅんおくみょうは:普明国師)が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝えられる。


南宋径山(きんざん)の橋を模したもので「通天」と名付けられました。


現在の通天橋は、1959年(昭和34年)に台風で倒壊した後、1961年(昭和36年)に再建されたもの。
橋の中央部・切妻屋根を構える広くなった張り出し部分から見下ろす洗玉澗の赤く染まった紅葉は憧れの絶景です。じっくり立ち止まって、景色に酔いしれたいところですが、紅葉の混雑時に事故防止のため、橋の上での撮影禁止措置が講じられています(2016年は11月12日~30日、臥雲橋も同様)のでご注意を。
よくドラマでも登場します。


下からの痛点橋の眺め





偃月橋
偃月橋(えんげつきょう) 川の一番上流部です。
橋の上部に偃月書かれています。
偃月橋は、単層切妻造・桟瓦葺きの木造橋廊。1603年(慶長8年)の建築で重要文化財。「日本百名橋」の一つ。
偃月橋」は、東福寺本坊庫裡にある東福寺本坊庭園拝観受付の脇道を東に進み、突き当りを左に曲がると到着します。東福寺三名橋の中では、一番奥の東端に位置し、塔頭・龍吟院と即宗院に向かう橋です。長さ十一間(約20メートル)、幅一間(約1.8メートル)で、単層切妻造の屋根は桟瓦葺きです。偃月橋は、1603年に再建され、国の重要文化財に指定されています。さらに、日本百名橋にも選ばれています。秀吉の正室である北政所・ねねが龍吟院にお参りするために架けられたといわれます。



偃月橋を渡った正面にある龍吟院庵は、南禅寺の開祖でもある東福寺第3世 無関普門(むかんふもん・大明国師)の住房跡です。その方丈は、1387年に建てられ、書院造と寝殿造の手法が融合した現存最古の方丈建築とされ、1963年国宝に指定されています。昭和を代表する作庭家 重森三玲(しげもりみれい)により、1964年に完成した枯山水庭園「 無の庭 」「 龍の庭 」「 不離の庭 」も見ものです。

無の庭 一本1草木もない簡素な白砂敷き





清光苑と呼ばれています。
この寺の名前であ「龍吟」をイメージして重森三玲により作庭されました。(昭和39年)龍が雲間から顔を出している姿を表現しています。入り組んだ二色砂紋の雷雲を表現しその間から龍が顔を出しています。また垣には稲妻が描かれています。



不離の庭 

龍吟庵開創の国師が幼少のころ、熱病にかかり山中に捨てられた時、二頭の犬が国師の
身を狼の襲撃から守ったという故事に基づき作庭された。中心の長い石が国師で両脇が犬
だそうです。赤い砂は鞍馬石ということです。竹垣もいい雰囲気を醸し出しています。
写真には写っていませんが、竹の絵だが付いたままです。


国宝龍吟庵は通常非公開ですが、例年11月~12月初めや「京の冬の旅」の期間中、特別拝観があります。


東福寺塔頭のひとつである即宗院。1387年(嘉慶元年)の創建、東福寺龍吟庵の東側に位置する。島津家の菩提寺で、法然上人および西郷隆盛のゆかりの寺として知られる。西郷隆盛と月照上人が密談したとされる茶室「採薪亭」跡や、西郷隆盛による東征戦亡之碑などがある。室町時代に藤原兼実公が造営した池泉回遊式庭園「月輪殿」跡がある。普段は非公開となっているが、毎年11月上旬~12月上旬(年により変動あり)に特別公開される。


龍吟庵の右隣(東側)には、薩摩藩の菩提寺である即宗院があります。西郷隆盛が倒幕計画を練ったという茶室があります。方丈から偃月橋へ向かう角には「鹿児島藩招魂碑 即宗院在山上」という石碑が置かれています。






庭園は約800年前平安時代の作
関白藤原忠道が御所の東御堂として建立したもので子の兼実(かねざね)は
月輪殿と称した。




この階段の上に西郷隆盛が統幕の密議を交わした茶室跡がある。



偃月橋から見下ろす洗玉澗の紅葉の景色が、趣きがありお薦めです。



方丈の前にあるのが「南庭」。東に仙人の住む島に見立てた巨石が配され、西には京都五山になぞらえた苔山が。



以下 塔頭
東福寺 光明院
明徳2年(1391)に金山明昶が開創した、「虹の苔寺」として知られている寺。昭和14年(1939)に完成した「波心庭」は、昭和の庭造りの名人・重森三玲の作。池泉式の枯山水庭園で、州浜型の白砂の枯池に三尊石組が配置され、背後にはサツキやツツジの大刈り込みがある。高台の雲上には茶亭があり、窓・壁・障子に描かれた大きな円は月を表し、月が東に昇る様を表している。


東福寺 芬陀院
東福寺の塔頭のひとつ。元亨年間(1321~1324)に一條内経が定山祖禅を開山にむかえ、創建して以来、一條家の菩提寺となっている。雪舟作と伝わる庭は鶴亀が配された優美な苔庭で、亀石が夜毎動いたという伝説もある。書院の背後にある茶室、図南亭は一條昭良(恵観)好みといわれ、恵観は茶関白といわれるほど茶道を愛した人。躙口のない貴人好みの四畳半茶室で、昭和44年に復元された。茶室の円窓からの眺めには心癒やされる。


東福寺 同聚院
東福寺の塔頭のひとつ。文安年間(1444~1448)に、東福寺第129世琴江令薫(きんこうれいくん)が開山。藤原道長の建てた法性寺五大堂跡に建立された。この寺に伝わるじゅうまん不動明王は五大堂に安置されていた五大明王の中尊で国の重要文化財でもある。作者は定朝の父、康尚といい、貴族趣味の優美な作風。「十」の下に「万」を書いて一字で「じゅうまん」と読み、「十万の眷属を率いて衆生を守護し悪事災難を除く」の意味。また境内にはアメリカの大富豪モルガンと結婚した祇園の芸妓、モルガンお雪の墓がある。


東福寺 天得院
臨済宗東福寺塔頭。正平年間(1346―1370)に無夢一清禅師が開創した。一度は徳川家康に取り壊されるが、天明9年(1789)に再建された。桃山時代に作庭された枯山水庭園は一面を覆う杉苔が美しく、6月から7月にかけて約300本の桔梗が咲きそろう。通常非公開だが桔梗の時季と秋に特別拝観があり、日没後は庭園ライトアップが行われる
(初夏・秋に特別公開)



東福寺 正覚庵
通常非公開の東福寺の塔頭。正応3年(1290)に東福寺五世住持の山叟慧雲を開山として、鎌倉時代の武将で奥州・伊達政宗の先祖である伊達政依によって創建された。威徳堂には「渡宋大自在威徳天神」が祀られており、堂内には巨大な筆が祀られている。「筆の寺」として名高く、江戸時代の文化年間には、境内に筆塚が築かれた。「絹本著色山叟恵雲像」は国の重要文化財。毎年11月23日には「筆供養」が行われている。

×

非ログインユーザーとして返信する