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愛知県  鳳来寺 阿吽の虎

鳳来寺
住所:新城市門谷字鳳来寺1
創建:702年
鳳来寺東照宮と一緒に拝観してください。
山号: 煙巌山
宗派:真言宗五智教団
本尊:薬師如来
創建:大宝2年(702年)
開基:利修
☎:0536-35-1004
駐車場:あり
新東名高速道路「新城IC」から約20分
鳳来寺山パークウェイ駐車場 510円


交通機関
JR「名古屋」駅から、「豊橋」駅で飯田線に乗換え、JR「本長篠」駅下車。豊鉄バスの「田口」行きに乗車、「鳳来寺山」停留所で下車
JR飯田線を利用 湯谷温泉駅 自転車で20分程度


鎮座地鳳来寺山は高僧利修仙人が702年に開山したところとして古来奥三河の霊地として信仰されていました。

鳳来寺東照宮から鳳来寺への参道
阿吽の虎
一見虎に見えないが後ろから見ると尻尾と背中の模様は虎です。


この橋の奥に三重塔がありました(推定)


今から1500万年以前の大昔、火山活動により誕生した鳳来寺山は極めて変化に富んだ岩山で、当時、桐・杉の大木が生い茂り瑞鳥鳳凰・仏法僧の啼くところで勝岳山、桐生山、霧生山、煙巌山ともいわれましたが、現在は鳳来寺山と呼ばれています。「鳳来寺」の名は第42代文武天皇が重い病気にかかられた時、草砥鹿公宣卿を使者とする一行が都に上り「快癒祈祷」を続け病気全快に至ったそうです。そのお礼に命名されたと伝えられています。


 岡崎城主松平広忠卿夫妻(徳川家康の母・於大)が鳳来寺に参籠祈願して竹千代君(家康公)をもうけられたという所伝により、慶安元年浜松城主太田備中守資宗を造営奉行とし、御普請御手伝方吉田城主小笠原壱岐守・西尾城主兵部少輔・横須賀城主本田越前守を配し慶安4年に社殿落成に至っています。御神体は、江戸城内にお祀りしてあった紅葉山東照宮より宮殿・随身・狛犬とともに奉還され、荘厳な遷宮祭が執り行われたと伝えられています。


本堂    まだ新しい
大正3年(1914年)に消失し昭和49年(1974年)再建
明治初期まで存在した諸僧坊も度重なる火災と明治以降の窮乏で廃絶となり、今では松高院と医王院のわずか2院の堂宇のみが現存する(松高院には山門あり)。廃絶の諸僧坊跡地には石碑が立てられています。

家康が誕生したとき鳳来寺の本堂に祀ってあった真達羅大将(寅の神)が忽然といなくなった。そして、家康公が亡くなられた時、突然、真達羅大将が現れました。
寅童子が祀られています。




本堂横の石段を上がると奥の院がある。ここの屋根には草が生え後数年もすれば屋根が崩れ落ちるかも知れない。
中には仏像はなかった。
 奥の院に行く途中に小さな堂宇があったが、屋根が半分崩れ落ちており、仏像は安置されていたがどのような仏像かは定かではありません。

奥の院

仁王門 重要文化財
 車でパークウエイを通るとこの門をくぐることはありません。

 東照宮は、巨巌をぬって登りゆく石段1425段の幽遼境地に建立されています。江戸時代には幕府の直轄工事として幾多の修理を重ねると共に昭和・平成と大改修を行いました。


石段アラカルト
日本一長い階段
 熊本県「釈迦院」3333段(昭和63年完成」


次に長い階段
 山形県「羽黒山」2446段


そして
 愛知県「鳳来寺」1425段
 香川県「金比羅離宮」本殿まで785段・奥社まで1368段


最後までご覧いただきありがとうございます。

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