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三重県 明福寺 両面円空仏

明福寺
住所:三重県三重郡菰野町菰野792-1
山号:発起山
宗派:浄土真宗 大谷派
創建:不詳ですが伝承によると永正年間(1504~1521年)永正のころ
開基:法欽
本尊:阿弥陀如来像
☎:
駐車場 15台位
交通機関
近鉄湯の山線 菰野駅
両面円空仏拝観は事前に電話してから
伺ってください。
拝観料は寸志


開基の法欽は、大和国高市郡越智の出身で、 永正の頃に伊勢へと移り住み、菰野にて念仏道場を開く。教如に帰依して、寺号、本尊、親鸞影絵を授与される。

享保年間建立(1716~1736年)


円空は1632年(寛永9年)美濃の国、岐阜県
で生まれた。


初期1663年頃郡上郡美並村で天照大神など
3体、さらに阿弥陀像など2体を彫った。

今回は阿弥陀如来様が正面です。
公開されるときは厨子から出されるそうです。

両面円空仏の前の写真


本堂欄間
立派であります。住職によると年代は不明修理は行ったとのこと。

六面ありました

弘法大師像

享保年間建立
本堂前にありました掲示板です。


1666年頃 円空35歳ごろより
福井、津軽、北海道、名古屋、岐阜と仏像をほりながら旅を続けました。


1674年三重県志摩地方を訪ね[大般若経]
を修復、その奥書に
[いくたびも たえても たつる 法のみち
九十六億 末の世までも 歓喜沙門]
と残した。


ここで「明福寺円空仏」が彫られた。
元伊勢神宮の神宮寺であつた常明寺(伊勢市)の持仏であった。
廃仏毀釈の影響で常明寺も廃寺となり、両面仏も廃棄されようとしました。
当時、多気郡津田村の法受寺に入寺していた明福寺第13世賢龍の弟大正がこれを譲り受け生家の明福寺ヘ持ち帰る、当時は秘仏とされていました。
現在は電話で事前予約することで拝観できます。


本堂の右側奥の厨子の中に鎮座しています。
住職さんに厨子を開けて拝観させて頂きました。


弥陀如来は来世の幸福を願う!
薬師如来は病者を救う現世の利益を願いがこめられいます。
微笑みに込められた祈り!


昭和48年7月菰野町有形文化財に指定されました。
本堂左奥には聖徳太子像の掛け軸がありました。
浄土真宗の開祖親鸞聖人の崇める方です


俳人
山口誓子の句
円空仏外に出て来て枯銀杏



円空は12万体もの仏像を完成させています。


1690年(元禄3年)には10万体を完成させ
和歌に 「オワル」 と書き残しています。
元禄8年入寂しています。(岐阜県関市)



10万体
毎日10体ずつ,33年彫りつづけなければならない。


円空仏は大きいものは3m位、5cmにも満たないもの、ナタで削つたもの、顔だけを彫ったもの。様々です。


この両面円空仏は
1999年にはベルギーのアントワープの国立民族学博物館に出展されていたこともありま。


以上明福寺の住職さんから頂いた案内書より引用させて頂きました。


最後迄お読み頂ありがとうございます。

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