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四国八十八ケ所車で遍路の記録/ 第84番屋島寺(やしまじ)



涅槃の道場:第66番~第88番札所:讃岐の国(香川県)
2020年1月19日公開
2020年8月25日一部修正 寺名記入
2020年1月19日公開しその後寺名記入した記事ですが、リライト記事に必要な文言等を
追記他の部分(写真等)追加・修正して2021年8月11日に再度公開しました。


いよいよお遍路は終盤に入りました。
本日はきらら温泉を出てすく屋島の古戦場の展望台から古戦場を見て遠き昔に思いをはせてきました。


有名
日本三大タヌキの一匹・太三郎狸「屋島寺・蓑山大明神」


第1番から1242.6㎞
いよいよ最期の旅立ち、予定では午後1時までには大窪寺を終り1番霊山寺を打ち帰宅する予定だ。景勝地屋島の山上にある屋島寺へは、屋島ドライブウェイを走る。 
途中の展望台からは、源平合戦の古戦場を眺めることができた。屋島寺に着く。7時前のためか誰もいない、しばし車中で待つことにしました。


第84番屋島寺(やしまじ)
住所:香川県高松市屋島東町1808番地
山号:南面山(なんめんざん)
院名:千光院(せんこういん)
宗派:真言宗御室派
創建:天平勝宝年間(749〜756)
開基:伝:鑑真和上
御本尊:十一面千手観世音菩薩
☎:087-841-9418


駐車場:有料、普通340台、大型
屋島山上駐車場 ・有料(普通自動車300円 二輪車200円 バス1,200円)
高松自動車道・高松中央ICから国道11号を屋島方面へ。屋島ドライブウェイを。約20分。


交通機関:
JR高徳線屋島駅から約5km


真言:おん ばさら たらま きりく
御詠歌:梓弓 屋島の寺に 詣でつつ 祈りをかけて 勇むもののふ


宝物館入館 大人500円・中学生以下300円


東大門
車が最初に出会う門です


天女が彫刻されています。


鐘楼
梵鐘 (国指定重要文化財)
鎌倉時代の作で、「平家供養の鐘」といわれています。


石造り五重塔

千体堂




大師堂内部


神社の前には雄と雌の大きな狸がいました。
四国の狸の総大将・太三郎狸が祀った蓑山大明神があります。
この狸は、屋島に異変があると直前に住職に知らせ、災厄を防いだということです。
その昔、あるタヌキ矢傷で死にかけたところを平重盛に助けられ、恩義から平家の守護を誓った。その子孫が太三郎狸といわれる。
平家の滅亡後は太三郎狸は屋島に住みつき、屋島に戦乱や凶事が起きそうなときはいち早く屋島寺住職に知らせたといい、そうした経緯で太三郎狸は屋島寺の守護神となった。その変化妙技は日本一と称され、やがて四国の狸の総大将の位にまで上り詰めた。大寒になると300匹の眷族が屋島に集まり、太三郎狸はかつて自分が見た源義経の八艘飛びや弓流しといった源平合戦の様子を幻術で見せたという。また屋島寺の住職が代替わり


蓑山塚
蓑山大明神の隣にあるのは蓑山塚。大恋愛のすえに妻と結ばれたといういわれをもつ太三郎狸は、縁結びや夫婦円満、子宝の神さまとされています。蓑山大明神に願掛けをして願いがかなった人がお礼参りに狸の像を奉納したことにはじまり、塚の裏側にも狸の像はたくさん並んでいます。


狸の奥には狐が鎮座
蓑山大明神の奥には朱塗りの鳥居が並ぶ参道が続き、屋島稲荷があります。狸と狐が同じ境内で祀られているなんとも不思議な空間です。



本堂 まだ扉が開いていません

本尊十一面千手観音は、1070年以上前に彫られた一木造りで、全身に漆を塗り、金箔をおいた坐像となります。こちらも重要文化財に指定されています。

仁王門

四天門
車で屋島へ来た場合は立派な東大門から屋島寺に入りますが、歴史を感じるたたずまいの四天門が正式な入口。奥に朱塗りの美しい本堂が見える構図になっています。四天門のさらに手前には仁王門があり、歩き遍路の場合は仁王門から四天門を通り本堂へ参拝となります。



屋島稲荷は静寂に包まれいるところにあります。蓑山大明神のさらに奥…という、少しわかりにくい場所にあるので見過ごされがちです。




宝物館
本堂の前にあります。
参拝後は是非見てください。
本尊をはじめ、源平盛衰記絵巻物、「源氏の白旗」、屋島合戦屏風など豊富な寺宝が保存・展示されています。
館内は撮影不可です


本堂 まだ扉があきません


本堂
本堂は1618年に建立されたものですが、一部は鎌倉時代に建てられたものが残っていることから、重要文化財に指定されています。江戸時代には藩主によって何度も修復され、大切に守られてきました。
本尊十一面千手観音は、1070年以上前に彫られた一木造りで、全身に漆を塗り、金箔をおいた坐像となります。こちらも重要文化財に指定されています。

瑠璃の池
屋島壇ノ浦の戦い後この寺の池で血刀を洗ったため池が赤く染まったという血の池(瑠璃の池)がある。ここは義経の8艘飛びで有名なところ。下関の壇ノ浦は平家滅亡の地である。


マンホールの蓋が那須の与一がおおぎを射る場面でした。



外に展示されていた壁画


 屋島は高松市の東、標高293メートルの火山台地の半島で、溶岩台地で屋根のようになっていることから屋島と名付けられた。麓から屋島ドライブウェイで瀬戸内海の景色を楽しみながら登っていきました、途中那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られる展望台に寄りました。屋島寺はその南嶺にあります。


屋島寺は、天平勝宝6年(754年)、唐から来朝した鑑真和上が太宰府から奈良へと向かう途中、屋島に立ち寄り北嶺に普賢堂を建立し、仏像と教典を納めて開基したのが始まりです。
後に鑑真和上の弟子である恵雲律師が堂宇を建立して、初代住職になりました。


 弘仁6年(815年)、弘法大師が嵯峨天皇の勅願でここを訪れ伽藍を北嶺から南嶺に移し、一夜で本堂を建立したといいます。
そして、十一面観世音菩薩を刻み、本尊とし、四国霊場に定めました
この本尊は、欅の一本彫りで、背には弘法大師の作と墨書されています。
朱塗りの本堂と本尊・十一面観世音菩薩は国指定の重要文化財になっています。


 屋島寺は、山岳仏教、修験の道場として多くの修行者が訪れるようになりました。
鎌倉時代以降は寂れてしまいましたが、生駒氏が藩主になってからは領地を寄進するなどして昔の栄華を取り戻していきました。
慶長16年(1611年)には、藩主の助力を得て本堂を修繕し、元禄2年(1689年)には再度修理がなされています。



次の第85番札所・八栗寺ケーブル乗り場まで約7.7km

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