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四国八十八ケ所車で遍路の記録/第81番白峯寺(しろみねじ)・第82番根香寺(ねごろじ)



涅槃の道場:第66番~第88番札所:讃岐の国(香川県)
2020年1月19日公開
2020年8月25日一部修正 寺名記入
2020年1月19日公開しその後寺名記入した記事ですが、リライト記事に必要な文言等を
追記他の部分(写真等)追加・修正して2021年8
月8日に再度公開しました。


80:国分寺→6.5km
青峯、黄峯、赤峯、白峯、黒峯の5色山のうち、白峯にある静かな古刹。
第1番から1209.4㎞
第81番白峯寺(しろみねじ)
住所:香川県坂出市青海町2635番地
山号:綾松山(りょうしょうざん)
院名:洞林院(とうりんいん)
宗派:真言宗御室派
創建:伝:弘仁6年(815)
開基:伝:空海(弘法大師)、円珍(智証大師)
御本尊:千手観世音菩薩
☎:0877-47-0305
駐車場:無料、文選普通30台、第二駐車場もあります。
高松自動車道・坂出ICから県道33号、県道16号を五色台方面へ。約30分。


交通機関
JR予讃線坂出駅から約6km


真言:おん ばさら たらま きりく
御詠歌:霜さむく 露白妙の 寺のうち 御名を称ふる 法の声々


まず山門に入る前に駐車場傍の石造十三重塔2基目につきます
ひとつは崇徳上皇、ひとつは源頼朝の供養塔で共に国指定の重要文化財です。


正面から見て左は弘安元年(1278年)、右は元享四年(1324年)の銘が刻まれています。
十三重石塔:源頼朝が崇徳天皇の菩提のために建立したと伝えられ、東西両塔ともにその形が似ていますが材質工法が各々異なり、東塔には弘安元年、西塔には元亨4年の刻銘があって鎌倉中期と末期に建立されたことが明らかです。東塔は総高5.95メ-ト、ル西塔は5.62メ-トルです。


山門(国の重要文化財)
高麗門形式の七棟門と言い、全国的にも珍しい形式の門
山門ではなく高麗門形式の七つの棟をもつ塀重門(七棟門)享保三年1718年の再建が有名で、(正面から見るとどう見ても五棟、門を入ると両側に一棟ずつあった。
山門山号扁額『綾松山』

山門を入ると正面に護摩堂があります。


勅願門
後小松天皇が奉納された。
大きなわらじか飾ってありました。
源為義と源為朝の武者像が守護しているそうですが、扉の中なので拝見できません。

修行大師像と稲荷社

客殿の御成門

鐘楼


本殿

本堂のお詣りする天井にはたくさん吊り灯篭がある。




ごりやく錫杖(しゃくじょう)
まわすとご利益があります


ミニ五重塔
寺の歴史を感じる白峯寺ミニ五重の塔です。
すごく苔があり歴史を彷彿させます

大師堂
本堂と並んで建っています。

ここに山門があります
大きな藁草履がありました。
ここに勅額門 扁額があります。
扁額は写真が見当たりません

阿弥陀堂


行者堂

頓証寺殿
頓証寺殿:崇徳上皇の御廟所です
環境省巨樹巨木林DBによれば、幹周/9. 30m、主幹の幹周/5. 60m、樹高/15m。
木造頓證寺勅額(国の重要文化財)


白峯寺は、弘仁6年(815年)、この地を訪れた弘法大師が白峯山中に如意宝珠を埋め、閼伽井(神仏に供える水をくむ泉、井戸)を掘り、衆生済度を誓願し、堂宇を建立したのが始まりです。
ここには保元の乱に破れ、讃岐に流された第75代崇徳天皇 白峯陵もありました。



十二支守り本尊と七福人
白峯寺では、参拝者の開運厄除・身体健固等を祈願し、境内に十二支守り本尊と七福神像を祀っています。
写真の「行者堂」は、干支「丑・寅」に対応するお堂です。
本堂は毘沙門天(子年)
大師堂は大黒天(なし)
阿弥陀堂は布袋尊(午・戌・亥)


行者堂は寿老人(丑・寅)
薬師堂は福禄寿(未・申 )
護摩堂は弁財天(辰・巳・酉)
頓證寺殿恵比寿(卯)



昔白峰には天狗が住んでいたと伝わる,その名は相模坊といいます。
お坊さんが木綿豆腐を買い出かけたところ空を飛んでいるような感覚がした、その瞬間もとの場所に戻ったら木綿豆腐が金豆腐に変わっていた。という言い伝えです。


後の貞観2年(860年)に智証大師が白峯大権現の神託を受け、瀬戸内海の流木で千手観世音菩薩を刻み、本尊とし安置しました。
長寛2年(1164年)、この地に流され46歳で悲運の生涯を終えた崇徳上皇は、ここで荼毘に付され、白峯寺の裏山(白峯御陵)に葬られました。
崇徳上皇の廟所は頓証寺殿といわれ、その門には後小松天皇(在位1382~1412年)が贈った額がかけられているため、勅額門と呼ばれています。


門前の欅の老樹は玉章木と名付けられています。
崇徳上皇の寂しい心中を察したホトトギスは、この欅の葉を口にくわえて声をこらして鳴いたといわれています。
白峯寺は、度重なる火災に遭いましたが、慶長4年(1599年)、高松藩主・生駒親正によって再建されました。
延宝7、8年(1679、1680年)に松平頼重が客殿や庫裏、護摩堂などを建て、積極的に寺の保護に努めました。


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白峯寺→5.0km→82番:根香寺


青峯、黄峯、赤峯、白峯、黒峯の5色山のうち、白峯にある静かな古刹。牛鬼伝説の山寺
81番:白峯寺→5.0km
第1番から1217.7㎞ 


第82番根香寺(ねごろじ)
住所:香川県高松市中山町1506
山号:青峰山(あおみねざん)
院名:千手院(せんじゅいん)
宗派:天台宗
創建:伝:弘仁年間(810~824)
開基:伝:空海(弘法大師)、円珍(智証大師)
御本尊:千手観世音菩薩


☎:0877-47-0305
駐車場:無料、普通30台、大型5台
高松自動車道・高松西ICから五色台方面へ。県道180号を道なりに。約30分。
交通機関:
JR予讃線高松駅から約15km


真言:おん ばさら たらま きりく そわか
御詠歌:よひのまの たへふる露の 消えぬれば あとこそかねの 勤行の声


駐車場の傍
仁王門 左側 山麓に牛鬼の像が安置されている


牛鬼の像
仁王門前の駐車場脇に建っている牛鬼が出迎えてくれる。木が茂っていて見落としそうになる。これは一体何、化け物か、確か米国の映画で海岸から怪獣が人間を襲う物語があった記憶がある(題名は忘れた)それに似ている。


牛鬼伝説
今から400年くらい昔、このあたりに「牛鬼」と呼ばれる怪獣が住んでいて村人をたいへん困らせていました。
そこでこの地方を納めていた殿様は、山田蔵人高清という弓の名人に牛鬼の退治を命じました。
高清は根香寺の本尊である千手観音にお願いをしました。
そのおかげで牛鬼を見つけ出し、見事に退治したそうです。
そして怪獣の角を根香寺に奉納して、その菩提をとむらったと伝えられています。
その角は、いまでもここ根香寺に残っています。
また、牛鬼の絵姿は、不思議にも魔除けの効能があるといわれるようになりました。


山門
巨大な藁草履と仁王さん
山門をくぐると下り階段がある。

山門入ると一旦階段を下ります。

参道を進むと今度は上り階段があります。

水掛地蔵

白猴欅(はっこうけやき)
神秘的で不思議な圧倒的霊力を帯びている。樹齢1600年とのことである。



五大堂(五大明王)
少し暗いお堂の中で目をぎらりと光らせた怒りの形相の5つの明王像は
心に迫るものがある。



本堂は回廊が付いた中門の中

本堂への入り口
回廊式前堂(万体観音堂)
本堂前の凹字型回廊に、全国の信者が奉納した33,333体の観音像が並んでいます。


本堂

役行者像

牛頭観音

大師堂


根香寺は、弘法大師が唐(中国)に留学する前に、海路の無事を祈願してこの山で草庵を結び花蔵院を建立し、五大明王を祀ったのが寺の始まりといいます。


後の天長9年(832年)、智証大師がこの地を巡錫したとき、欅の木の下に白猿をつれた山王権現が現れたと伝えられ、智証大師は香木で千手観世音菩薩を刻み、本尊として千手院を建立しました。


根香寺の本尊・千手観世音菩薩は33年に一度しか開帳されない秘仏で、国の重要文化財に指定されています。


弘法大師が創建した花蔵院と智証大師が創建した千手院を総称して根香寺としました。
また「根香」という寺名の由来は「香木の根」による。
 現在の香川県という県名は、その香りが川から運ばれてきたことにちなんで名付けられ
たという
末寺99院を有する根香寺は、一時、後白河天皇(在位1155~1615年)の勅願所となり、隆盛を極めましたが、兵火にかかり焼失しました。
慶長年間(1596~1615年)に、藩主生駒一正が堂宇を再建するまでは衰退の一途をたどっていました。
寛文4年(1664年)に高松城の裏鬼門に当たることから初代高松藩主である松平頼重が再興し、宝暦4年(1754年)には、松平頼恭が修営を行いました。
本堂は、石段の一番上にあり、回廊式になっていて、回廊には、信者が奉納した33,333体の観音小像が並んでいます。




根香寺→11.9km→83番:一宮寺

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