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四国八十八ケ所車で遍路の記録/第79番天皇寺(てんのうじ)・第80番国分寺(こくぶんじ)

涅槃の道場:第66番~第88番札所:讃岐の国(香川県)


伝説の「八十場の霊水」湧出地の崇徳上皇ゆかりのお寺
2020年1月19日公開
2020年8月25日一部修正 寺名記入
2020年1月19日公開しその後寺名記入した記事ですが、リライト記事に必要な文言等を
追記他の部分(写真等)追加・修正して2021年8月6日に再度公開しました。


第1番から1188.5㎞
第79番天皇寺(てんのうじ)
住所:香川県坂出市西庄町天皇1713-2番地
山号:金華山(きんかざん)
院名:高照院(こうしょういん)
宗派:真言宗御室派
創建:伝:天平年間(729~749)
開基:伝:空海(弘法大師)
御本尊:十一面観世音菩薩
☎:0877-46-3508


駐車場:無料、普通、大型
高松自動車道・坂出ICから国道11号、県道33号を西へ。約10分。
交通機関
JR予讃線八十場駅から約350m


真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌:十楽の 浮世の中を たづぬべし 天皇さへも さすらひぞある


このお寺に隣接する白峰宮がありました。
まずここを参拝しました。
赤い鳥居が際立っています。


ここの神社と天皇寺はなかで繋がっていました。


寺号石碑
一番最初にお目にかかるのがこの立派な石碑です。
この石碑の右手が駐車場


山門はなく赤い鳥居が迎えてくれる。しかも珍しい三輪鳥居・明神鳥居に両脇に脇鳥居がくっついている全国でも3カ所しかないらしい。(奈良・大神神社、ここも拝観した)、東京墨田区牛島神社 ここは拝観していません。)また神社の中に寺があるとういう感じ。どちらかというと白峰神社の方が立派で天皇寺はくっついているようだ。正面に白峰神社が堂々と建っていた。

中門(赤門)




本堂

大師堂


弘法大師が巡錫中、八十場(やそば)の泉の付近で霊感を得ました。
そしてそばにあった霊木で十一面観世音菩薩像を刻み、堂宇を建立して安置しました。
これが天皇寺の始まりです。


保元の乱で敗れ、讃岐に流罪になった崇徳上皇は(天皇・上皇が配流になるのはたいへん珍しいことです)、長寛2年(1164年)8月、讃岐の国府における歌会に出席する途中、ここで崩御されました。
暑い夏の時期であったため、遺骸を八十場の水につけて腐敗を防ぎ、寺に安置して京都からの命旨を待ちました。
そして命旨を受けると白峯山で荼毘に付されました。
天皇寺は、崇徳上皇を祀る崇徳天皇社(現、白峯宮)の神宮寺となり、後嵯峨天皇が再建しました。
戦国時代、長宗我部元親に焼き討ちされますが、筆頭末寺の高照院により、復興されました。
明治の神仏分離令により、境内は分割されましたが、天皇の寺であるとして、現在の寺号・天皇寺となりました。


伝 説
八十場(矢蘇場)の泉(やそばのいずみ)
日本武尊(やまとたける)は、悪魚退治のためにこの地にやってきました。


しかし、大魚に船を呑まれて悪魚の毒で日本武尊(讃留霊王)は88人の兵とともに倒れてしまいました。
そのとき横潮明神が泉の水を持って現れ、その水を飲むと日本武尊と88人の兵たちは回復しました。
そこで、この泉から汲まれた水を人々は、弥蘇波転じて「八十八の水」「八十場の霊水」と呼ばれるようになったのです。



天皇寺(高照院)→6.6km→80:国分寺



第1番から1195.3㎞
第80番国分寺(こくぶんじ)
住所:香川県高松市国分寺町国分2065番地
山号:白牛山(はくぎゅうざん)
院名:千手院(こうしょういん)
宗派:真言宗御室派
創建:伝:天平勝宝8年(756年)以前
開基:伝:行基
御本尊:十一面観世音菩薩
☎:087-874-0033
駐車場:無料、普通20台、大型5台
高松自動車道・高松西ICから県道12号を西へ。さらに県道33号を西へ。約15分。


交通機関
R予讃線国分寺駅から約500m真言:


真言:おん ばさら たらま きりく
御詠歌:国を分け 野山をしのぎ 寺々に 詣れる人を 助けましませ


道に迷い、行き止まりの住宅地へ、そこでお叱りを受けた、謝って引き返す。道路標識「国分寺」を見落とし、ナビを頼ったらこの有様、道路標識は正しい。これで2度目注意力散漫、「反省」


この国分寺は讃岐最大の国分寺である。また四国国分寺の最期の霊場
鐘楼はかなりでっかい。。本堂で国の重要文化財、大師堂が二層で珍しい。


弁財天が祀られたお堂
山門
山門山号扁額『白牛山』
創建時の中門を踏襲すると推定される仁王門


裏側は大きな藁草履が掲げてあった。


仁王門を入ったところには、四国八十八ヶ所の石仏が並ぶミニ八十八ヶ所巡りがあります。



鐘楼
梵鐘も大きい、四国では最大級だそうだ.
銅鐘は国指定の重要文化財になっています。
四国最古の梵鐘
銅鐘は平安時代前期の鋳造とされ、重要文化財です。
銅鐘には面白い逸話が残っています。
高松藩主生駒一正は、寄進した田地と引き換えに高松城の鐘にしようとしました。
ところが城に置いても音が出ません。挙句に城下に疫病が蔓延したり自身も病になったりしてしまいました。ある時、枕元に鐘が現れて「帰りたい、帰りたい」と泣いたために、お寺に戻されたということです。


本堂(国指定の重要文化財)
鎌倉時代の再建
本堂の前には讃岐国分寺金堂の礎石があります。
本尊千手観世音菩薩


大師堂前の中門:高麗門

大師堂

弁財天
前には七福人(弁財天はお堂のなかです)

閻魔堂



大日如来堂
写真はありません


聖武天皇(在位724~749年)は、諸国に国分寺を建立することを勅願しました。
その国分寺のひとつがこの讃岐の国分寺です。
東西220m、南北240mもの広大な寺域に伽藍が建ち並ぶ大寺院でした
聖武天皇の勅命を奉じた行基が本尊十一面千手観世音菩薩を安置し、開基しました。


後に弘法大師が巡錫して、本尊の破損した箇所を補修し、堂塔を増築して四国霊場に定めました。
金堂(本堂)は残っている礎石から奈良の唐招提寺とほぼ同形であると推測され、全国でも有数の国分寺であったということです。
その後、寺は荒廃しましたが、慶長4年(1599年)、藩主・松平氏の保護を受け再建されました。
国分寺の鐘楼の銅鐘は奈良時代の鋳造と推定され、香川県では最古の銅鐘といわれています。


大蛇伝説
香川県の安原淵には大蛇が棲んでいて人々に恐れられていました。
戸継八郎という人物がこの大蛇を退治することになりました。
八郎は、千手観音に「一矢が千の矢になるように」と祈願しました。
八郎が大蛇に向けて矢を射ると、大蛇は銅鍾をかぶり、香西の沖で死んだといいます。
銅鐘は引き揚げられ国分寺に納められたといいます。
国分寺は、讃岐国分寺跡として国の特別史跡に指定されている広々とした立派なお寺です。




国分寺→6.5km→81番:白峯寺

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