ほんわか人生の旅

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四国八十八ケ所車で遍路の記録/第70番本山寺(もとやまじ)・第71番弥谷寺(いやだにじ)・

涅槃の道場:第66番~第88番札所:讃岐の国(香川県)
2020年1月19日公開
2020年8月25日一部修正 寺名記入
2020年1月19日公開しその後寺名記入した記事ですが、リライト記事に必要な文言等を
追記他の部分(写真等)追加・修正して2021年7月26日に再度公開しました。


いよいよ残すところ讃岐国だけとなった。車を走らせていくと五重塔の水煙・屋根が見
えてきた四国88カ所で5重塔があるのは、他に竹林寺・善通寺・志度寺の四ヵ寺であ
る。ここは戦国時代の兵火を免れた数少ない寺院であるそうだ。


第1番から1144.6㎞
第70番本山寺(もとやまじ)
住所:香川県三豊市豊中町本山甲1445番地
山号:七宝山(しっぽうざん)
院名:持宝院(じほういん)
宗派:高野山真言宗
創建:伝:大同2年(807)
開基:伝:空海(弘法大師)
御本尊:馬頭観音
☎:0875-62-2007
駐車場:無料、普通15台、大型3台
高松自動車道・さぬき豊中ICから国道11号を観音寺市方面へ。約5分。


交通機関
JR予讃線本山駅から約1km(徒歩約20分)
真言:おん あみりと どはんば うん はった そわか


御詠歌:もとやまに 誰が植えける 花なれや 春こそたおれ 手向けにぞなる



仁王門(重要文化財)
和様・唐様・天竺様という三つの様式の山門。全国でもほかに例のない、本柱の前後に4本ずつ計8本の控柱があるの、どっしりとした構えの八脚門ともいいます。
仁王門は国の重要文化財。金剛力士像も立派であった。県指定の重要文化財とのこ
室町時代中期の建立と伝えられています。
(仁王さんの写真はありません。)


この時代は応仁の乱が発生した「応仁(おうにん、1467-1469)」があったときです。
ここもやはり戦火により京の都が荒れ足利氏による室町幕府は機能がなくなり、各地方の守護達は自分の権利を主張し大名と言われるようになっていきました。
そこで権力のある大名は覇権主義となり他国を攻め取る、戦国時代へと変貌していったのです。


五重塔
明治43年3月の建立
屋根の大きさが同じです。
五重塔は四国では第31番札所「竹林寺」・第75番札所「善通寺」・第86番札所「志度寺」と本山寺の4ケ寺しかありません。
初重には、胎蔵界五仏坐像が安置されています。

本堂(国宝)
本堂の前に古びた灯篭が2基
鎌倉時代に建立(正安2年(1300)
土佐以外の四国の寺院は、多くが天正年間(1573-1593)に長宗我部氏の侵略の際に焼き払われた。
それは本山寺周辺の寺院や四国八十八ヶ所の札所寺院も例外ではありませんでした。

伝承によると、本山寺にも他寺院と同様長宗我部氏の軍勢が押し寄せ境内諸堂に火を放った。主たる堂宇である本堂にも軍勢が迫り、それを阻止する住職を切りつけ本堂の扉を開け火を放とうとしたが、本堂内に祀られている阿弥陀如来の身体から血がしたたり落ちているのを目にする。そのことに驚いた長宗我部氏の軍勢は本堂を焼かずに撤退。仁王門と共に焼失を免れたそうです。
後にその阿弥陀如来は「太刀受けの弥陀(たちうけのみだ)」と呼ばれ、現在もこちらの本堂内に脇仏として祀られています。(現在秘仏)

大師堂

十王堂・護摩堂
十王堂の中には右手に十王像、左手に説法阿弥陀如来坐像、三面大黒天が祀られています。


他に
大日堂、鎮守堂、慰霊堂、鐘楼、客殿があります。(写真がありません)


「鎮守堂」仁王門をくぐるとすぐ左手奥にあり、善女竜王が祀られている。この竜王は、弘法大師が雨乞いの修法を行った際に出現したと伝えられている。


五輪塔(本山寺の名僧のために鎌倉時代に建立されたらしい)、他に山門もあっ
た。
五輪塔は地・水・火・風・空の仏教の五大思想を象徴する日本独特の建造物である。鎌倉時代の建造物である。
(写真はありません)



大門(東門)
外側内側に
大きな藁草履がありました。
この青い塀を行くとあります。
(写真はありません)


本山寺は、大同2年(807年)、平城天皇(在位806~809年)の勅願で弘法大師が本堂を一夜のうちに建てた「一夜建立の寺」と伝えられています。
本尊の馬頭観音、脇仏の薬師如来、阿弥陀如来も一夜で刻んで安置したといいます。
馬頭観世音菩薩を本尊とするのは四国霊場中、ここ本山寺だけです。
馬頭観世音菩薩「悪い運や煩悩をばくばくと食べてくれる」そうです。


きゅうり供養
毎年土用の丑の日にはキュウリ加持が行われ、大勢の人で賑わっています。




第1番から1157.4㎞
第71番弥谷寺(いやだにじ)
住所:香川県三豊市三野町大見70番地
山号:剣五山(けんござん)
院名:千手院(せんじゅいん)
宗派:真言宗善通寺派
創建:伝:天平年間(729~749)
開基:伝:行基
御本尊:千手観世音菩薩。
☎:0875-72-3446
駐車場:有料、普通20台
高松自動車道・さぬき豊中ICから国道11号、県道48号を三野町方面へ。約15分。
交通機関
JR予讃線みの駅から約4km


真言:おん ばさら たらま きりく


御詠歌:悪人と 行き連れなんも 弥谷寺 只かりそめも 良き友ぞよき


   駐車場から境内まで急勾配の石段がまず262段、そこから大師堂まで108段、さらに
本堂まで170段。ガイドブックには「霊場の中でも有数の難所」などと書いてあった。
私も妻も左膝を痛めているので上の駐車場に行くか下から山門をくぐっていくか迷ったが、行く手に遮断機があった、500円を支払えば登れるらしい。500円を投入すると遮断機
があがった。山門は通れないが260段の石段はパス。上の駐車場からもかなりの階段であった。
さらに本堂まで、170段もあります。合計540段


かなり疲れます。
この階段は参拝が終わっても振り返ってはいけないと伝わります。


登り続けて270段。大きな金剛拳菩薩との出会いがあります。

岩窟の護摩堂


この前を左に行くと本堂右に行くと天霧城址


鐘楼
袴付き


修行大師がお迎えしていただけます。


大師堂の前を過ぎたらまた階段170段そして本堂へ
岸壁に上の多宝塔が見えます


多宝塔


無造作に置かれていました、説明書きもないためわかりません。

本堂の屋根にあったもの

480段あたりの水場です。扉の向こうに洞窟が続き、仏様が住む極楽浄土の入口です。
ここはあの世の入り口
水場の洞窟と摩崖仏



磨崖仏
岩壁に刻まれた梵字。その上には阿弥陀三尊の磨崖仏(まがいぶつ/石や崖に彫された仏像)があった。「死霊の帰る山」という言葉から受けるおどろおどろしい雰囲気はない。周囲は荘厳で穏やかな空気に包まれている。磨崖仏(まがいぶつ)は奈良県、京都でも見かけたことがある。どの寺も風雨にさらされて風化しているものが多い。
ここは丸い石作り屋根がついている。しかし、風化はすすんでいる。
これらも大師が刻んだとされています。

大師堂入り口

大師堂
ここに行くにはまた階段があります。

ここは、履物は脱いで参拝します。


「獅子の岩屋」弥谷寺は、本堂、大師堂とも岩壁に埋め込まれたように建てられている。
本堂(ここまで石段540段です。)
本堂は山肌に張り付くように建ってます。


標高382メートルの小高い弥谷山の中腹(標高200メートル)に位置する弥谷寺、古くから死者の霊がこの山を通り、仏の世界に旅立つという信仰があり、青森の恐山、大分の臼杵磨崖仏とともに日本の三大霊場に挙げられています。現在も、死者の霊を境内にお祀りして帰る「弥谷参り」という風習が残っており、堂内には、たくさんの位牌や遺骨が安置されています。


弥谷寺は、奈良時代、行基が神秘な山に心を打たれ、堂宇を建立したのが始まりといわれています。
当初は、弥谷山の頂から瀬戸内海のこちら側(四国)と向こう側(中国)の八国が望めたために蓮華山八国寺と称していました。


大同2年(807年)、弘法大師がこの山に入り修行していたとき、五柄の剣が空中から降ってきて、 金剛蔵王権現のお告げを聞いたといいます。
そこで大師は山号を剣五山、寺号を弥谷寺と改め、本尊千手観世音菩薩を刻み、四国霊場としました。



とにかく疲れました。石段が多いと膝ががくがく。何回も休憩しながら上がった。



次の第72番札所・曼荼羅寺まで約5.3km

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