京都 神護寺 世界遺産
2021年10月27日記事修正しリライトしました。
神護寺 高雄山 神護国祚真言寺
住所:京都市右京区梅ヶ畑高雄町5
山号:高雄山
宗派:高野山真言宗
本尊:薬師如来(国宝)
創建:天長元年(824年)
開基:和気清麻呂
駐車場:橋のたもとにあります。
ここから、階段が続きます。トイレは済ませてから行きましょう。
拝観料
500円 特別拝観料600円
今日は五大虚空菩薩の特別拝観 多宝塔特別開扉 午前十寺から
室内は撮影禁止でした。ネットでは写真があります。
石段は350段
鏡石
高雄山寺では、802年(延暦21年)に最澄が招かれて法華会(法華経の講演)が行われ、812年(弘仁3年)には空海が住持となっている。
824年(天長元年)、神願寺と高雄山寺が合併され「神護国祚真言寺」(じんごこくそしんごんじ:神護寺)となり、空海とその弟子によって整備が進められた。
和気清麻呂公霊廟
書院
これ何か不明 おそらく石塔があったのであろう
金堂
昔の手水鉢
多宝塔は金堂からさらに階段を上がる
扉が開けられました
「神護国祚真言寺」とは、「八幡神の加護により国家鎮護を祈念する真言の寺」 という意味。神護寺は、空海の後もその弟子達によって護持されていたが、平安末期には衰退した。
その再興に尽力したのが文覚。
後白河法皇や源頼朝もその再興を援助した。
1205年(元久2年)に文覚が対馬に流され亡くなった後は、弟子の上覚、明恵に引き継がれ、1225年(嘉禄元年)、明恵を導師として伝法会が修され、翌年落慶の総供養が行われた(明恵は高山寺を再興した僧)。
文覚は二度も直訴して寺の援助を申し入れたが最初の一度は伊豆に流されています。
2度目は精巧し援助を得られたが、三度目は島流し、懲りない人ですね。
しかし、その後の神護寺は、室町期に兵火によって焼失。
江戸中期に堂宇7、支院9、僧坊15を数えるまでに再興されたが、明治の廃仏毀釈によって寺域が解体され、支院・僧坊は焼失。1935年(昭和10年)になって、金堂、多宝塔が再興され旧堂も修復されています
かわらけ投げ発祥の地です。





















