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知多新四国八十八ケ所霊場の旅 六十一番札所 御嶽山 高讃寺

知多四国霊場六十一番札所
御嶽山 高讃寺
住所:愛知県常滑市西阿野字阿野峪71番地
宗派:天台宗
創建:白鳳十二年(684年)
御本尊:聖観世音菩薩
☎:0569-35-3175
駐車場:あり


交通機関:名鉄常滑駅より知多バス阿野下車徒歩15分


御詠歌
張り挙げて 仏の功徳 高讃寺 あの世までもと 響け渡らめ
今回が最後の参拝となります。


かっては知多三山の一つでした。
南は「第43番・岩屋寺」、北は「第82番・観福寺」、そして中はがここ
「第61番・高讃寺」でした。そして三寺とも七堂伽藍を有する大寺院でした


高讃寺の歴史は古く、白鳳十二年(684)天武天皇の勅願寺として行基により創建されたと案内板にあります。
かつては七堂伽藍を有する大寺院で、岩屋寺・観福寺とともに知多三山と称されていたと言います。


石門
知多ではおなじみの門です。
石門を行くと石段[20段]があります。


石段を上がるとそこには仁王門(県指定文化財)
この門は八脚門となっています。中には仁王さんがいらっしゃる。


この仁王像は愛知県の指定文化財になっています。仁王像の由来が書かれた案内板が掲げられていました。
案内看板には昔話と仁王像の説明書きがありました。


昔話
昔、樽水本宮山の前方↓の御嶽の池の中から引き揚げられた仁王様で大勢の村人が話し合い樽水洞雲寺へ運ぼうと綱を引く人、後ろから押す人、しかしどうしても動かず弱り果て、ア!そうだ 此れは高讃寺の仁王様だ。高讃寺へと話がまとまり「ソレ引け」と引いたところ今までビクともしなかった仁王様がまるで足でも生えたかのように軽く動き無事高讃寺へ安置できた。目出たし、目出たし。


注)戦国の天文六年(1537年)織田・今川両氏の戦火を逃れ三岳の池の中へ。幾数年後の江戸時代初期の寛文年間現在地へ「池の中から出てきた仁王様」が眼前の此の仁王様です。


もう一枚は
金剛力士・蜜迹(みつしゃく)力士仏法守護の二尊仁王(右)阿形(左)吽形 江戸初期の墨書から、作者不詳、作風から鎌倉時代の作
高さ303㎝、知多半島では最大の作。
そういえば知多八十八か所で仁王門があったのは数か所です。


地蔵堂
千体地蔵ですが、ざっと見では700体くらいでした。


本堂
本堂の中央には本尊である聖観世音菩薩が奉安され、その向かって左側の厨子の中に弘法大師像が安置されています。


外陣の天井は絵天井になっていますが、経年変化でちょっと寂しい感じになっちゃってます。


内陣中央には厨子に納められた本尊聖観世音菩薩が安置されてます。


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