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知多新四国八十八ケ所霊場の旅 五十五番札所 曇華山 法山寺  源義朝が討たれた御湯殿跡

知多四国霊場 五十五番札所
曇華山 法山寺  源義朝が討たれた御湯殿跡
住所:知多市美浜町野間田上50番地
宗派:臨済宗天竜寺派
創建:神亀年間(725年頃)


御本尊:御湯殿薬師如来


駐車場:あり
☎:0569-87-1073


交通機関
名鉄新知多線野間駅より徒歩10分


御詠歌
法の山 聞くも嬉しき 薬師尊 病なかれと 頼め祈れよ


源義朝が討たれたという御湯殿跡が残る寺で有名です。
聖武天皇の神亀年中(725年頃)、行基菩薩は諸国巡化のおり当地を訪れ、山上に優曇華の花咲き競うのを見て衆生済度を祈願した。


9世紀初めの弘仁年間、弘法大師もまた当地に留鍚され、霊水に浴する病者のために密厳秘修を行っています。
さらに、14世紀初めには、夢窓国師が七堂を再建し禅の法灯を当地に広めました。


本堂(薬師堂)
本尊である御湯殿薬師如来が安置されています。
扁額に「瑠璃光」と記載があります。


鐘突堂


慰 源義朝公霊 と郁木札がある。
この地帯は源義朝が暗殺されたことによる、霊をお祀りするところが多い。


大師堂

御湯殿跡
1185年❨文治元年❩源頼朝は父義朝の菩提を弔うため鎌倉に勝寿院を建立、後白河法皇に依頼して義朝と正家のしゃれこうべを9月3日勝寿院の廟所に葬りました。
その後、勝寿院は荒廃したが跡地には今も義朝と正家の五輪塔は残されています。


本堂の先を更に進むと平治の乱に敗れこの地に落ちのび、再起を図ろうとしていた源義朝公が、平治2年(1160)の正月3日、当寺の薬師如来に初参りの帰途、かたわらの御湯殿に入浴中、長田父子のために謀殺された話はあまりにも有名です。


「源義朝公御湯殿旧蹟」、義朝公の家臣・金王丸らの戦いの場「乱れ橋の碑」
、義朝公の胴塚「仙人塚」などの史蹟が伝わっています。


                                                                            参考文献:知多四国めぐり礼所案内より



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