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知多新四国八十八ケ所霊場の旅 五十二番札所 鶴林山 密蔵院  かじとり観音

知多四国霊場 五十二番札所
鶴林山 密蔵院  かじとり観音
住所:愛知県知多郡美浜町大字野間字松下105番地
宗派:真言宗豊山派
創建:不詳
御本尊:不動明王
☎: 0569-87-0308
駐車場:あり


御詠歌
法界を 平等に見る 御仏は 密蔵院に 輝きてます


密蔵院は承暦年間(1077~1081)、白河天皇勅願の大御堂寺十四坊の一院「宝乗坊」として創建、学頭職を勤めていたと沿革にあります。


また、宝暦年間に「密蔵院」 と改称されたとあります
慶長16年(1611)、大御堂寺一山は徳川家康公より250万石を下されて
ますが、当院はその内、25石を拝領しています。


なお、大御堂寺一山の学頭職を勤めた関係から、当時の経典文書などが現存しています。
中でも、江戸時代初期の絵図からは、隆盛を秘めた往時の様子を
そのまましのぶことができます。


山門
朱塗りの薬医門
朱塗りががすごく印象に残ります。
ここは平成10年(1998)の大規模造営工事によって再建された山門
ここも特徴的なのでしょうか、砂利が敷き詰められていました。



手水舎
手水舎には、密蔵院に安置されている「かじとり観音」に纏わる伝説が書かれた看板が掲げられていた。

山門の真っ直ぐ先にある石段を上るとお堂があります。
ここに祀られている如意輪観世音菩薩が「かじとり観音」と呼ばれている観音さまです.


観音堂の脇には一隻の古びた舟が展示されていました。


かじとり観音
昭和十九年に小笠原諸島の沖で米軍の攻撃によって第十雲海丸だったが、船長以下七名は救命艇に乗り込み、千キロ以上はなれた本土を目指して海原を漕ぎ出したそうで、三十数日漂流する中で、観音様のお導きによって船長の家があった野間の沖合に漂いついたんだとか。


一名はその後死亡してしまったが、六名は生き残ったという伝説だそうです。
この船何か関係があるのでしょうか。説明書きはありません。


本堂
堂宇は度々兵火により消失。本堂は慶安年間(1648~1652)に再建されたとあります。
平成10年(1998)に建て替えられています。
本堂の中央に本尊である不動明王が鎮座しています。


須弥壇には鎌倉時代の作とされる本尊不動明王が安置されています。
「盗難除」に霊験ありとして知られています。
脇侍は矜羯羅童子と制多迦童子が安置されています。


大師堂(弘法堂)
本堂と弘法堂は堂内で繋がっていて、その渡り部分は焔魔堂(十王堂)としても使われてます。


本堂とは別棟。平成十年(1998)再建
ここは弘法大師様だけがおられるのです。
しかも、大師像の前には 盗難除の札がありました。

閻魔大王の横に必ずいるばあ様
ここで三途の川を渡る審査をします、こわーいばあさまです。


焔魔堂
後で気づいたのですが、焔魔堂(十王堂)が設けられていました。
大師堂に行き本堂に戻るとき間に案内看板があり気が付きました。閻魔大王を中心に十王が安置されています。
ここはのぞき見みたいです。障子紙に6カ所の穴がありそこからのぞくようになっています。



不動堂

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