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奈良県  奈良市  西大寺

西大寺
奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5
山号:勝宝山
院号:四王院
宗派:真言律宗 総本山
本尊釈迦如来(重要文化財)
創建:天平宝字8年(764年)
開基:孝謙上皇(勅願)
電話:0742-45-4700
駐車場:あり 門前




叡尊(えいそん)が始めた「大茶盛」の寺としても有名です。

奈良時代「恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱」がおき、これを収束させるため「孝謙上皇(反乱平定後は称徳天皇)」が、国家の守護神として「四天王像」を造ろうとの発願により、僧・常騰を開山(初代住職)として建立された。「西大寺」の寺名は言うまでもなく、大仏で有名な「東大寺」に対するもので、奈良時代には薬師金堂、弥勒金堂、四王堂、十一面堂、東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍を持ち、南都七大寺の1つに数えられる大寺院であった。奈良時代の終わりである宝亀11年(780年)に記された『西大寺資財流記帳』という古文書によると、伽藍全体は48ヘクタールほどの広さを持っていたとされ、現在の境内地が5ヘクタール程度である事と比較すると、東大寺に匹敵する大規模なお寺であったのではないでしょうか。しかし、再三の火災のため荒廃し現在の諸堂は、江戸時代に再建されたものです。


その後は明治初期の廃仏毀釈もあったが、江戸時代に建立されたお堂を中心とした境内地を守り、現在に至り、興福寺や薬師寺のような大規模な復元事業などは行われていないが「真言律宗」の総本山として般若寺、海龍王寺といった奈良市周辺の数多くのお寺を束ねる存在としてその存在感を放ち続けています。


本堂(重文)
寄棟造、本瓦葺。室町時代の焼失後に再建された堂が傷み修理不可能と判断され、新築することになる、寛政10年(1798年)頃造営に着手、文化5年(1808年)頃完成したものです。土壁を一切用いず、装飾性の少ない伝統的な様式になる。江戸時代後期の大規模仏堂建築の代表作として、1998年(平成10年)重要文化財に指定されています。


釈迦如来立像(重文)
西大寺の本尊。建長元年(1249年)、仏師善慶の作。いわゆる「清凉寺式釈迦如来像」の典型作で、京都、清凉寺にある三国伝来の釈迦像(「三国」とはインド、中国、日本のこと)の模刻である。像内には多数の胎内物が納められていた。西大寺の鎌倉復興期の仏像は、本像の作者善慶をはじめ、名前に「善」字を用いる善派と呼ばれる一派の作が多いのも特徴です。


文殊菩薩及び脇侍像5体(重文)
正安4年(1302年)の作。像内には多数の胎内物が納められていた。

四王堂
江戸時代、延宝2年(1674年)の再建。


十一面観音立像(重文)
平安時代後期の作。長谷寺式十一面観音。正安2年(1289年)に京都・白河にあった法勝寺十一面堂の本尊を四王堂に移したものです。


四天王立像(重文)
もとは孝謙上皇発願の四天王像だが、現在は足下の邪鬼にのみ奈良時代のものを残す。邪鬼の顔がユーモラスであまり他では見受けないと思います。像本体は持国天・増長天・広目天像が銅造、多聞天像のみ木造で、前の3体は鎌倉時代、多聞天は室町時代の作と推定される。

愛染堂
京都御所の近衛公政所御殿を宝暦12年(1762年)移築したもの(移築年次は明和4年(1767年)の説もある)。


愛染明王坐像(重文)
宝治2年(1247年)、仏師善円作。小像ながら、日本の愛染明王像の代表作の1つに挙げられる。当初の彩色や切金文様がよく残っているところが見所。
これは秘仏で、毎年10月 ・11月頃に開扉されますのでその折は是非ご覧ください。
作者の善円は、西大寺本堂本尊・釈迦如来像の作者である善慶と同人と推定されています。像内には、小像にもかかわらず、多数の胎内物が納められていたようです。


叡尊(興正菩薩)坐像(国宝)
堂内向かって左の間に安置される、西大寺中興の祖・叡尊の肖像彫刻。弘安3年(1280年)、叡尊80歳の時の肖像で、作者は仏師善春である。長い眉毛、団子鼻の風貌は像主の面影を伝えるものと思われる。西大寺の鎌倉再興期の仏像には像内に多数の胎内物が納められているのが特色ですが、中でもこの像には叡尊の父母の遺骨をはじめとするおびただしい資料が胎内物としたありました。

鐘楼


東塔跡


塔頭
一之室院
護国院
増長院
華厳院
清浄院
法寿院


聚宝館 
 寺宝を展示する宝物館。
塔本四仏坐像(重文)
釈迦如来・阿弥陀如来:阿閦如来・宝生如来の4体で木心乾漆造です。焼失した五重塔の初層に安置されていたと思われるもので、奈良時代末期の作。4体のうち阿閦如来像は奈良国立博物館、釈迦如来像は東京国立博物館に寄託されています。


奥ノ院(境外西、体性院) 西大寺より少し離れた位置にあるのであまり行く人はいません。叡尊死後の墓所「奥の院」。


現在西大寺境内の近くでひっそりと佇む「石落神社」も創建された
西大寺東門前の飛地境内にあります。

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