奈良県 奈良市 秋篠寺
秋篠寺
住所:奈良県奈良市秋篠町757
電話:0742-45-4600
創建:薬師如来奈良時代末期(776年)
開基:善珠大徳、光仁天皇(勅願)
近鉄大和西大寺駅から「押熊」行き乗車、「秋篠寺」下車西に徒歩4分
この近くに親戚がありよく行きましたが、そんなに有名だとは知りませんでした。
近鉄大和西大寺駅から北西に徒歩17分
バスを待っているより歩いたほうが早いですよ。
駐車場は境内北東側にあります。10台 バスは駐車できません。
駐車場から
天平の文化ですね。
苔の庭がとても綺麗
山門を入ると、苔むした庭が綺麗です。
香水閣
東門を入ると左手にあります。
この井戸は平安の初めに僧常暁が水面に映る大元帥明王像を得徳した故地です。
皇室「秋篠宮家」の宮号はこの秋篠寺のある「秋篠」の地に由来するものとなっており、宮家創設時などには一時的に秋篠寺に観光客が大挙して訪れるようなこともあったお寺となっています。
また、秋篠宮様の妃がこの寺の伎芸天立像に似ているとのうわさでした。
由来は、平城京西北の外れ「秋篠」の地に建てられたためこう呼ばれています
寺伝によると、宝亀7年(776年)に大安寺の笹酒まつりで有名な光仁天皇の勅願により善珠大徳と呼ばれる僧侶が創建したとされています。
創建前の当地は秋篠朝臣と呼ばれる貴族の領地であったと考えられているため、秋篠氏の氏寺があり、そのお寺が光仁天皇の勅願寺に変化した可能性も指摘されるなど、「創建」を巡る由緒は謎の多い存在となっています。
奈良時代後半の創建後は奈良のその他のお寺よりも遅く、平安時代に入る頃に金堂や東西両塔などを有する立派な伽藍を完成させることになり、桓武天皇が崩御された後には五七忌が秋篠寺で開かれるなど天皇家との関係性も持ちながら一定の規模のお寺として機能し続け、お寺の所領をめぐって少し離れた場所にある西大寺と争いになることもあったとされています。
平安時代の終わりも近い保延元年(1135年)に戦火に見舞われた秋篠寺は金堂・東西両塔なども含めて伽藍内の建築のほとんどを失うことになり、鎌倉時代になってから現在の本堂などが復興されることになりました。東西両塔の礎石だけが残っています。
明治に入ると廃仏毀釈により本堂一帯を除く寺域の大半が没収されて現在に境内のみ残りました
伎芸天立像 本尊より有名です。
日本では唯一現存する塑像
伎芸天立像は、頭部のみが奈良時代の脱活乾漆造頭部は奈良時代
このような伎芸天の彫像の古例は日本では本像以外にないと思われます。
高さは206㎝
薬師如来坐像
本尊
室町時代頃の作とされています。
日光菩薩・月光菩薩立像(脇侍)
脇侍の日光・月光(がっこう)菩薩像は彩色仕上げで作風も異なっているようで、本来の一具ではないと思われ、両脇侍像は平安時代後期の作とみられ、像容から、もとは梵天・帝釈天像として造られた可能性もあります。
地蔵菩薩立像
平安時代。本堂に安置。(1909年重文指定)
帝釈天立像
頭部は奈良時代の脱活乾漆造、体部は鎌倉時代の木造
不動明王像
堂内の東側の厨子には赤々とした愛染明王坐像、西側には畏怖を感じさせるほどの迫力を有する五大力菩薩像が安置されています。
十二神将像
小ぶりですがよくできています。
小さな寺にしては所蔵像が多いです。
特報
奈良市観光大使であるタップダンサー・中野目崇真さんが秋篠寺・伎芸天立像(伎芸天:芸術・芸 能を司る女神)の前でタップダンスを奉納されました。
ご奉納日2018年6月13日
大元帥明王像
本堂南西側の「大元堂」に安置されています。大元帥明王の彫像として稀有の作で一般に特別公開されるのは毎年6月6日のみです。
大元帥明王像は、6本の手がありを筋骨隆々とした体中に蛇がからみつき、激しい怒りの表情を見せるという迫力に満ちた仏像であり、真言密教寺院であった鎌倉時代に造立されたものと考えられています。